収穫の秋…
食欲の秋…
読書の秋…
スポーツの秋…
秋という季節には色んな言葉が付くんだけれど、まだまだ真夏のような猛暑にあるので 行楽の秋 のベストシーズンにはほど遠いけれど、先の連休を利用して 北陸方面 へ出掛けてみましたので、少しリポートしてみようと思います。
同行しますのは、このブログで定番の親戚の奥様に加え、京都工芸繊維大学に通う親戚の子供さんの3人ですので、まずは奥様と共に大阪を早朝5時半に出発して京都へ向かい…
京都工芸繊維大学の近くで下宿する息子さんと合流します。
そして、ここからは一旦京都市内へ逆戻りして北陸を目指すのでは無く、「大原三千院」を通る山越えルートで湖西に出て、最初のスポットでもある 白髭神社 を目指します。
何度か門前を通過しているけれど、今だ一度として詣でたことが無い神社ですし、俗に言うパワースポットとしても有名なのです。
ですから、旅の前途の安全を本殿で祈願し、少し神秘的な雰囲気がする山の中腹にあった「岩戸社」にも続いて詣でました。
加えて、同神社は琵琶湖に建つ鳥居が絶景スポットでもあり、これが 近江の厳島 と言われる所以なのですが、神社の前を通る国道は、かつて浜大津~近江今津を結んでいた 江若鉄道 の廃線跡を転用拡張したものなのです。
↓↓↓ 江若鉄道が現役の頃の様子。
さて、完全無欠のロックンローラーとは違い、完全無料の 湖西道路 を北上し、いよいよ県境を越えて北陸越前の国 敦賀の街 に入りました。
天然の良港として古くは 北前貿易 などで栄えた敦賀の街は、後に貿易港として繁栄を極めるのですが、その名残として 赤レンガ倉庫 などが今も残っているのです。
しかし、鉄道好きの私にとってそんなものはどうでも良くて、その傍らに鎮座している キハ58系気動車 だけを求めてここまでやって来たのでした。
国鉄四国総局のヘッドマークをコピーし、実際には存在しなかった「急行わかさ」のヘッドマークは少し頂けませんが、それでも静態保存自体が稀な車両ですから、久々のご対面に涙チョチョ切れで御座います。
ただ、惜しむらくは、ほぼ真横に敦賀港線の廃線跡(レールはそのまま)があるので、有田川町鉄道公園 に倣って、同車を「動態保存」をして頂ければ、もっと人気のスポットになると思うのですが如何でしょうか?
さて、同車をサクッと撮影した後は、午前中のメインディッシュでもある 旧北陸線トンネル群 に入ってまいります!
前述のように貿易港でもあった 敦賀港への物資を大量に運搬 するため、はやくも明治時代に鉄道が敷設されたのですが、両側を山々に挟まれた地形に加え、当時は長いトンネルを掘る技術も無く、いわば 人海戦術 での工事が進められたのでした。
すなわち、下の画像にもあるように、1962年に現在の 北陸トンネル が開通する以前は、敦賀を出た列車は単線で急こう配の続く線路を通っていましたが、これが今も市道として現存しているので通行できるのです!
敦賀駅を出て 国道476号線 を北に走りますと、途中までは二車線の整備された道路ですが、これは旧北陸線の線路跡を拡張したものであって、当時の痕跡はほとんどありません。
しかし、途中の日吉神社で国道から離れますと、いよいよ昔ながらの 旧線跡 が見えてくるのです。
※Googleより(←部分が旧線跡)
かつて、何度となく訪問した同区間ですが、最近は 近代化遺産 にも指定されたようで、一般の方でもわかるように丁寧な案内看板もありました。
さて、ここからは脳内モルヒネ全開でテンション爆上がり!
かのバックトゥザフューチャーに出てくる悪友「ニードルス」のように、半分ラリった気分になりながら歩みを進めます。
っと、いきなり鉄道らしい築堤がお目見えしたのですが…?
現役当時の画像と重ね合わせますと、撮影した場所は後部補機の煙が上がっている所になります。
で、更に進みますと…?
キタァァァァ~~~!
こちらは恐れ多くも全長約1kmの 葉原トンネル で、トンネル内が狭くて行き違いが出来ないため「対面通行」になっているのですが、ほどなくして信号が青になりましたので…
「出発信号進行~~~」!
長笛一発「ファ~~~ン」!
トンネル自体は明治時代の工法でもある レンガ作り ですが、天井には当時の煤煙の跡も残っていますので、もうこんなん血圧は軽く200を超えてしまいました!
ただ、30年以上前は道路面が未舗装の凸凹で照明すらありませんでしたが、現在はかさ上げ+アスファルト舗装され、照明も所々に設けられていますので、当時よりもいくぶん走りやすくなっていました。
ただ、この区間は元々単線の路盤を転用しているためトンネル以外でも幅員が狭く、あまり初心者のドライバーにはおすすめ出来ませんが、それでも途中の杉津辺りでは、日本海の絶景が望める区間もありますので、更にテンションが上がるのです!
そして、峠を越えた南条市側の最大のサミットである 山中トンネル では、上り側出口にスイッチバックが設置されていましたので、その痕跡を今も辿ることが出来ました。
まあ、全区間を走破したところで1時間足らずでしたが、それでも私にとっては 中身がパンパンに詰まった宝石箱 のようなひと時であって、少なからず往時を偲ぶことが出来たのは、大きな収穫でした。
それにしても、富国強兵を目指した先人達の苦労は計り知れず、この国とこの地域の発展のために、ほぼ手作業で同区間を開通させたのですから、天晴としか言いようがありませんね!
そして、北陸トンネルが開通する以前は、蒸気機関車が多くの貨車を連ね、黒煙を濛々と上げながら、この難所に挑んだのでした。
つづく