皆様、新年あけましておめでとうございます!

本年も、ご拝読賜りますようお願いします。

 

さて、2022年の一発目のブログは、今から40年前の1982年(昭和57年)1月に訪問した、千葉県の 銚子電気鉄道 の訪問記と題して、当時を回想しながら書いていこうと思います。

 

 

 

昭和57と言えば私が高校3年生の頃で、まもなく就職試験を控えてはいたのですが、無類の 鉄道好き とあって後先考えず、冬休みを利用して、東京方面に一人旅をしたのですが、

 

山手線の五反田駅から出る、池上線の「荏原中延」駅の近くに義母が住んでいたため、そこを常宿として拝借していました。

 

         

 

 

ところで、目指すべく千葉県銚子の街までのアクセスと言えば、当時は安価な高速バスは無く、国鉄が唯一無二の存在でした。

 

ただ、出来るだけ長く「銚子電鉄」を撮りたいものの、早朝の普通列車乗り継ぎでは時間がかかり過ぎ、しからば当時の庶民の足でもあった安価な急行列車もチョイスしたかったのですが、これも早朝の便がありませんでした。

 

なので、仕方なく高校生の分際で、朝一番の 特急しおさい の客となったのです。

 

         

 

 

 

 

東京駅の長い階段を降りまして、地下ホームから発車する特急に乗車しましたが、停車駅案内の放送で 「次は妖怪千葉に停まります…」 と流れた時には目を丸くしましてね…?

 

関東にはこんなヘンテコな駅名があるのか? と、妙に感心したのですが、実は「八日市場」だったというオチでした…(笑)

 

         

 

 

 

さて、特急電車に揺られること2時間余りで、千葉県の最東端にある銚子の街に到着しましたが、これから訪問する 銚子電鉄電車は、国鉄ホームの端っこにポツリと停まっていました。

 

         

 

車体には誇らしげに CDK の文字がありましたが、銚子電鉄株式会社(kk)の略なのでしょうか?

 

         

 

 

訪問したのが1月の寒い時期の平日ということもあって、乗客は地元の方々ばかりでしたが、それでもパラパラと乗客らが乗ったり降りたりして、ほどなく終点の 外川(とがわ)駅 に到着しました。

 

         

 

 

 

全線乗り通したとしても6.4kmのミニ鉄道なので、銚子駅てでレンタカーを借りればサクサク撮れるのですが、まだ普通免許すら無かったので、ここから電車を撮影しながら銚子駅まで徒歩で戻ることにしました。

 

線路沿いに500mほど歩きますと、まずは 犬吠駅 に到着しまして、当時はボロボロの木造駅舎でした。

 

         

 

もちろん、季節柄もあって観光客の姿は皆無でしたが、「ようこそ歓迎…」の看板が、手持無沙汰な印象ですね。

 

         

 

でも、せっかく犬吠まで来たのだからと、犬吠埼まで遠征しましたが、やはり観光客は皆無でした…。

 

         

 

 

 

ところで、今や社会問題のひとつとも捉えられていて、迷惑至極な行動をする 撮り鉄 という言葉は、そもそも当時は無くて、線路伝いに人が歩いていたとしても、列車が近づくと退避さえしていれば、お咎め無しの状況でした。

 

                

 

と言いますか、そもそも鉄道の撮影を趣味とする者の絶対数が少なかったことに加え、当時は国鉄の ブルートレイン などが主たるターゲットであって、銚子電鉄のような中小ローカル私鉄には誰も見向きもしませんでしたし…

 

         

 

お互いが、お互いの暗黙の最低限のルールのようなものを守っていましたから、鉄道側もファンに関しては寛容だったと思うのです。

 

 

 

 

さて、記憶はおぼろげながら、こちらは西海鹿島駅辺りでしょうか…?

 

         

 

 

田園地帯の中を一両の電車が走り去っていくのですが、地元では 冬キャベツ の栽培が盛んな土地柄なのかどうなのか?

一面にキャベツ畑が広がっていまして、収穫の最盛期だったようです。

 

         

 

 

時系列から考えますと、この辺りでどうやらお昼頃になったのでしょうかね…?

さすがに、どこで食事を取ったのかまでは記憶に無くて、当時はコンビニはおろか牛丼なんかのチェーン店も皆無でしたので、どこか地元のパン屋さんで アンパンと牛乳 だったのでしょうか…?

 

         

      

 

 

ところで、今はマスコミなどに取り上げられていて、 経営難といわれる銚子電鉄 ですが、当時はそれなりに乗客も多かったように思いますし、そもそも地域内の流動がままあった時代でしたし、まだマイカーも今ほど発達していませんでしたから、電車の本数も多かったように思います。

 

 

ですから、当時は笠上黒生駅で、電車同士の行き違い(交換)も、日中普通に行われていました。

 

 

         

 

 

 

さてさて、ここまで来ると約半分の行程を歩いたことになるのですが、後半も銚子駅を目指してひたすら歩きつつ、たまたまやって来た電車を撮影することだけに徹します。

 

 

         

 

綺麗な松林の切り通しを走る電車は、あたかも一幅の絵のうよに映るのですが、今こうして見てみますと、背後の陸橋には下校途中の小学生の姿がありますね!

 

お嬢ちゃんでしょうか?

当時の私と10歳ほどしか変わらないようですので、今では良いお母さんになっているのでしょうかね…?

 

 

 

今は副業の ぬれ煎餅 が有名な銚子電鉄ですが、副業の歴史は古くからあって、当時はすでに観音駅の駅舎内で たい焼き を直営販売していまして、初老の女性ひとりが焼いていた記憶があるのですが、応援するためもあり私もひとつ頂いた記憶があります。

 

 

         

         

 

時期が時期だけに陽が暮れるのも早くて、もちろんその事も頭に入れての行程でしたが、ようやく銚子駅のひとつ手前の 仲ノ町駅 まで到着しました!

 

         

         

 

構内は広く、傍らに車庫がありましたので、係員さんに撮って良いかと問うたところ、「好きにして…」との返答がありましたので、線路に降りて撮影を楽しみましたが、当時はそれほど緩い時代だったのです。

 

 

         

 

また、当時は国鉄の車扱い貨物というのが現役でして、この駅の傍らには ヤマサ醤油 の工場があり、たくさんの貨車を率いた デキ3 という小さな機関車が、先頭に立っていました!

 

 

         

 

早朝に東京駅を発ち、丸一日をかけて銚子電鉄を訪問した思い出は、今となっては懐かしい限りですし、当時活躍していた電車もすでに廃車となって久しいのですが、アルバム写真を眺めながら当時を回想しますと、走馬灯のようにその情景が頭をめぐるのです…。

 

若かりし頃のひと冬の体験は、それを自らが行動に移した者しか知り得ない、自分だけの宝物なのです。

 

帰路は、ヘッドマークも誇らしげな 急行犬吠 に乗車しました…。