前回の続きである。

 

高山本線の猪谷駅から普通列車に乗車し、さして乗客も増えないまま富山駅に到着したのは11時40分であった。

 

さて、次は更に「北陸新幹線」に乗車して先に進むのだが、ここで30分少々の乗り継ぎ時間があるので一旦改札を出たものの、時間が時間だけに、駅前を徘徊するに留めたが…?

 

 

 

まずは、富山に来たからには 富山地方鉄道(地元では地鉄/ちてつ と言う) にご挨拶するのが 鉄道好きの流儀 であって、電鉄富山駅のコンコースまで出向くと、ちょうど元京阪の3000系が停車中であった。

 

 

おいで~! おいで~! 

と手招きされているようで、時刻表を見ると次の特急が12時20分発とあり、実はこれに乗車して 新黒部駅 で「北陸新幹線」に乗り継ごうと、当初は計画していた。

 

ただそうなると、同区間に1時間程度を要してしまうため、後々の計画が成り立たなくなると言うか、要は時刻表のイジリ過ぎが原因で、言わずもがな毎度余裕が無い行程を組んでしまったため、まさに後ろ髪を引かれる思いでコンコースを去ったのである。

 

 

 

 

それと、次に市内線を数枚撮影した後、腹ごしらえのために入ったのが、ご存知 富山駅そば である!

 

 

味は何の変哲もない「1杯300円のかけそば」だけれど、かまぼこの 立山 の文字が可愛らしく、この地を訪問した際には必ず食すのが、これまた鉄道好きの流儀でもある。

 

 

 

さて、お腹も満たしたのでホームへ上がり、次に乗る12時18分発  はくたか562号 を待っていると、すでに大勢が列を作っていた。

 

 

東海道新幹線の「のぞみ」などと同じく、この「北陸新幹線」も速達タイプの「かがやき」と、東京~長野間の主要駅停車型の「はくたか」があるものの、日中に「かがやき」は運転されていない。

 

すなわち、10時~16時までの間は1時間に1本の「はくたか」のみの運転になるため、どうしても旅客が集中するのであって、この列車も自由席は立客が出るほどの乗車率で、指定券を用意していて正解であった。

 

 

 

 

ところで、この切符はこの先の 上越妙高駅 まで乗車できる。

 

なので、当然端っこギリギリまで乗れば、これまたお得感が出るのは当然なのだが、私の考えとして 妙高=JR西日本 という土地柄では無いような気がしたのである!

 

おまけに、仮に妙高まで行ったとしても、折り返しの列車まで20分ほどしか無いので、改札を出てもスグに戻らなければならないので、観光と言うほどではないけれど、駅を降りて少しは街を散策してみたかったので、ひとつ手前の 糸魚川駅 で降りることにした。

 

 

 

翡翠(ヒスイ)の街 として知られる糸魚川は、いわゆる田舎の都会であって、駅前には数台のタクシーが客待ちしていたものの、元日とあっては観光客は皆無であり、手持ち無沙汰であった。

 

さて、昨年も時刻表のイジリ過ぎが原因で、乗り継ぎ駅で改札の外へ出ることは稀であったが、今回の行程では少しだけ余裕を取っていて、ここでは40分の プチ観光 をする行程にしたのが特徴である。

 

で、この糸魚川駅はコンコースから400mほど歩くと 日本海 が望めるのであって、折角ここまで来たのだから訪問してみることにしたが、これまた元日というで開いている店は皆無であったて、驚くことにコンビニ1軒すらない街でもあった…。

 

 

太陽の光を拒むかのごとく低く垂れ込めた灰色の雲と荒波…

 

 

 

 

左手には「翡翠」が拾える海岸があって、その先には人をも拒む難所の親不知(おやしらず)海岸が続き、右手にはかつては 能生事件 と言わしめた能生駅がある。

 

 

日本海の荒海と険しい山に挟まれたわずかな平地に肩を寄せ合うように連なる集落が、過去にこの道行く人達のオアシスだったのかも知れない…?

 

眼前の風景が冬の北陸の風物詩とも言えなくもないけれど、丹後半島特有の うらにし のような強風が吹いていて、旅に出ているというワクワク感に加え、えもいえぬ侘しさが複雑に交差した瞬間でもあった。

 

 

 

 

さて、まったりとしている時間も無いので今来た道を戻ると、 がんばろう糸魚川! の看板が目に入った。

 

 

およそ1年前…

ひとりの人間の過失によって発生した火災は、またたく間に街全体を覆う大火となったのは記憶に新しいが、その痕跡は痛々しい限りである。

 

 

 

駅に戻り、少し時間があったので在来線 (日本海ひすいライン)のホームを覗いてみると、ちょうど列車がやってきたが…?

 

 

電化している路線なのに、ヂーゼルカー(気動車)1両であった。

 

 

 

北陸新幹線が開業するのと引き換えに、JRはその両線を維持していくのが困難なことから、在来線は第三セクターへ移管されたのだけれど、沿線でも大きな駅と言われる「糸魚川」ですら、一日700人程度の乗り降りしかないのだ!

 

元々は首都圏と北陸を結ぶ幹線として 甲線 として整備され、時の国鉄は高速走行が可能な路線へと成長させたものの、その旅客が新幹線に取られたのでは、全く未来は無いに等しい。

 

 

 

 

結婚して子供が産まれたのでローンを組んで家を新築したのは良いけれど、ふと気付けば子供が皆巣立っていった様に酷似している。

 

夫婦ふたりでは、この家は大き過ぎる!

この輸送量では、この設備は過大すぎるのだ!

 

確かに「新幹線」は快適で、どの地方でも切望する気持ちは分からないでもないけれど、その先の現実をどう進めていくかということを、余りにもおざなりにし過ぎてはいまいか?

 

切り捨てられて瀕死の在来線の姿が、ここにあるのである。

 

 

 

 

半ば悶々とした気持ちで糸魚川駅を後にし、次ぎは金沢駅まで戻ることにしたが…?

 

 

案の定、下り はくたか561号 の自由席はガラガラであった。

 

つづく