職業訓練修了式の翌日から
元の職場での勤務が始まった。
提出書類やらパソコンの設定やら
やる事満載ではあったが
部の方々やまたお世話になる方々へ
ご挨拶に行ったり、電話を掛けたりした。
皆さんが
お帰りなさい
と言ってくださったのが何よりも
嬉しかった。
職業訓練修了式の翌日から
元の職場での勤務が始まった。
提出書類やらパソコンの設定やら
やる事満載ではあったが
部の方々やまたお世話になる方々へ
ご挨拶に行ったり、電話を掛けたりした。
皆さんが
お帰りなさい
と言ってくださったのが何よりも
嬉しかった。
有期雇用パートの任期満了で
半年のクーリング期間を経て
また同じ職場のパートで働くと言うことで
今年の3月末に退職した。
最初の2ヶ月は舞踊会のお稽古に費やし
その間に職業訓練校を受験し
残りの4ヶ月はCADの基礎を学ぼう
と計画を立て計画通りに過ごした。
職業訓練校では、CADの技能だけではなく
就職に向けた面接の受け方などの
授業もあった。
20名の年代の違う方々と授業の度に
少人数のグループになり
自分の事を語ったり、時に面接官となり
質問をしたりする事もあった。
そんな授業の最中に、一人の方に嫌われたらしく
その日の朝まで親しくしてくれていたのに
急によそよそしくされ、挙げ句に
避けられるようになった。
あちら様があからさまに避けられるので
何が原因なのか解らないままだったが
その方の語った今までの経験談の中に
多少の違和感もあり、授業に支障が出ては
お互いの為にならないと思い
それ以上踏み込むことをやめた。
3ヶ月と少しのCADの勉強の後
約3週間強の企業実習を経て
修了式の日を迎え、実習先での経験や
クラス担任の講師、共に学んだクラスメートへの
感謝の言葉など発表の場が設けられ
一人ひとり順番に語った。
その方は、どこの会社に行っても
隣に席の人が仕事が出来ない人ばかりで
いつも自分が教える立場になり
結局二人分の仕事を担ってしまうのに
正当な評価を得られず、人間関係が
おかしくなって退職する羽目になる。
と、過去の事として授業でもお昼休みにも
語っていらした。
そして、実習生の指導をする実習先企業の
社員さんがCADを全く使えない人だったので
実習期間中、ずっとCADを教えてやり
何の実習だったのか解らなかった。
と、語られた。
その方がそんなに優秀な方なのか
それは私には解らないが
社会人としてどうだろうかと思いつつ
修了式の全てが終わり、教室を出る際に
この日を限りにもう逢うことも無いだろう
クラスメートお一人おひとりと
短い別れの言葉を交わした。
避けられてきたけれども、別れ際は
綺麗でありたい私としては
その方がお一人になられた時をついて
傍へ寄って、出逢えた事への感謝と
お元気でと別れの言葉を述べたら
「急ぎの書類を書いてますから!」と
私の存在を払い除けたかったらしい手が
腕に当たって結構痛かった。
まだ30代くらいのその方が
今後どの様な仕事に就き
これから先の長い人生を
どの様に歩まれるのか
私には関わりの無い事だが
こんな後味の悪い別れが今後無い事を
願ってやまない。
随分前の事だが、映画「国宝」を見に行った。
「ベルサイユのばら」を見に行った時に
予告で流れていたのもあって
是非、見に行きたいと思っていた。
話自体は、新聞に掲載されていた時に
読んだことがあったので
そう言うまとめ方なんだと感じた。
日本舞踊を習っている者として
一年半のお稽古で大曲を仕上げられたのは
凄いなぁと素直に思った。
恐らく役柄としてお二人の性格を
表す様な踊り方をされていたのだろう
と、そこも感心したし
曽根崎心中の横浜さんの足の色が
なんてリアルなのだろうと思った。
引き抜きの時の吉沢さんの左手が
とても気になった。
それも役柄ゆえならそれはそれで
凄いと思う。
そして舞台での場面では
ちょっとだけ経験のある後見さん目線で
見ている自分に笑ってしまった。
特に2度目の道成寺では
そこの若いの、若旦那を肩に乗せて鐘に上げろ
と、心の中で叫んでいたし
隠し幕で退場させるとか、誰判断?
と怒りも感じた。
私の心の奥にある炎が刺激を受けて
少し勢いを増した様に感じた。
見に行って良かった。