女性の教員志願者数が減少の一途との事。

就職だけでは無く結婚についても、先ずは何をしてもらえるか?何を得られるのか?ばかりを気にしているのでは無いだろうか?自身で掴み取るのではなく、与えられた物に対しての対価のみ返そうとする。


これでは経営サイドとしても、たいした期待値にはならないし、先行投資にはまず至らない。男女平等に機会を与え同基準で査定したくても女性の権利ばかりを主張されてはたまらない。


生理休暇であろうと育児休暇、出産休暇であろうと有給休暇でも構わない。我々は期限内に然るべき成果を上げて欲しいだけなのだ。個人が無理ならチームで、その協力体制を構築するのも能力査定の指針であろう。


学校においても先ずは学校が有り学年や科目が有り当人の担当が有り、協力が得られないのであればコミュニケーションスキルも当然こちらは疑問視する。


また、給与に見合った労働なのかを判断するのは経営サイドであり決して当人では無い。単純な時間労働だけでは無く、マネージメントスキルや危機管理能力その他総合的に判断するものであり、たまに給与分の仕事はしたから、、、と曰う若者も存在するが、根拠を疑わざるを得ない。

また人材は短期保有と長期保有により資産価値も異なり、正社員となれば長期保有と判断しての採用なのだから短期保有資産と同様にとらわれてしまっては採用準備や人材育成の予算自体が無駄になってしまう。

どれだけの期間で回収し利益化するのかはトップの判断だし評価なのだが、少なくとも経営側に立ったことの無い人材が評価できるものでは無い。


女性のトップ、経営者が少ないことでこの問題が表面化しているのだろうか?経営とは数値だけではないし理論上だけのものでもない。まさしく生き物のようであり昨今のコロナ禍や円安その他様々な影響は経営側としては一筋縄ではいかない事を痛感していることだろう。


教員とは国の資産であり国力にも直結する大事な職業だと思っているので、様々な待遇の改善や充実化は当然国策として必要不可欠だ。しかしながら、不満ばかりを掲げ、自らの使命ややり甲斐、小さい時の夢との天秤があまりにも利己的ではなかろうか?


キリスト教の概念なのかもしれないが、先ずはgiveすること。その結果takeとして返ってくる。与えられるのをただ黙って待って得るのではなく、時間だけでなく能力やアイデアをgiveしていく気概は無いのだろうか?


私より先輩方は男女関係無くgiveの精神を持っている方が多い。

結婚も同様、殿方にどれだけgiveしてもらえるのかを皮算用するよりどれだけ相手にgiveし続けられるのか?己を磨いたほうが良い。そうすれば自然に返ってくるだろう。


「どうせ誰がやったって変わらないよ!」とある店長が言っていた言葉だ。毎回人事異動毎に風を巻き起こす事で社員からは恐れられているが、期待して裏切られての方が圧倒的に多いのだから、組織が大きくなればこの様な達観論も出てしまう。


我々昭和の経営者は圧倒的に裏切られて裏切られてきた経験値が高い。特に女性を引き上げていかないといけないと世論の流れにも押され、それに応えるべく、登用を促してきたが彼女らの期待に応えきれなかった我々の反省以上に、裏切られてきた経験がよぎってしまうのもやむ無しと思ってもらいたい。


そんな中、そもそも応募すらしない、志願すら諦めるのか?魅力が無いのか?後者なのだろうが、私が変えるくらいの、私がトップに立って変えて見せるくらいの性格でないとやっていけない業界なのかもしれない。

まぁそもそも裏切る気マンマンの人材もいるだろうから、それはそれ早めに辞退してくれたほうが無駄な予算を割かなくて済むので、良いのかもしれない。


男性は女性よりリタイア迄労働しなければいけない意識は多少なりとも高いと思いたいのだが、男性も先ずはgiveから思考を始めることを進める。