真田広之がハリウッドで時代物を演じて喝采されている中、水を差す様な論調があった。

 

歴史学者?自身の専門分野を汚されたとでも思っているのだろうか?或いは自身の解釈との乖離が激しく受け入れられなかったのだろうか?


エンターテイメントなのだから何が正しい等意味をなさない。大衆が楽しめば善し、楽しめなければ悪し。それだけである。


テレビが新聞が映画がインターネットが、或いは純文学でさえ誇張したり史実を自身の解釈で噛み砕いてみたりしてきた。オジサン大好きな歴史小説家の作品は史実通りかと問われれば決してそうだとは言えないだろう。

大河ドラマは?新聞は?自身の許容範囲だから、知り合いが時代考証として入ってるからセーフ?まさに大人の我が儘論理でしか無い!


それが世界からだと問題なのだろうか?そもそも日本がどこにあるのか?知らない人達のほうが多い!そもそも日本なんで国すら知らない人だっているのだ。どこかのアジアの一国みたいに我が国が世界一で全世界に知られている!みたいな幻想を抱いているのだろうか?


ハラキリ、ゲイシャから抜け出せない?

それだけでも知られている方が凄いとは思わないのか?Z世代にはその二言すら意味がわからない輩だっているだろう。エンターテイメントと言うのは、興味を引くきっかけで有り、単純に余暇を楽しむものなのだからお硬いことは言わない約束のもとに本来制作されるべきものだ!

だからこそ風刺が効いていたり誇張して面白がったりして結果受け入れられてきたのである。


食文化だって外国人が寿司屋を選ぶ際、回転寿司屋が当たり前のように筆頭に挙がり苦々しく思ってる寿司職人はいるだろうか?美味しいと喜んでくれてお代を払ってくれるなら何でも良いと大抵は思っているはずだ。すきやばし次郎か銀座久兵衛か?スシローか?大衆はスシローなのだ。それを自身はすきやばし次郎が好きで通える程知識もあるからスシローを批判し、NOBUなんかは寿司のカテゴリーにも入れないのでは無いだろうか?

狭い!ダサい!器量の小ささがしょっぱ過ぎる!


アメリカにはまだまだアジア人差別意識は無くなっていない。そんな中、少しでも日本を知り興味を持ってくれる人が増えたら、そしてその人が自身で調べたりしたらいいのでは無いだろうか?


だから学者は視野が狭いとか社会では通用しないとか一般常識に欠ける等と揶揄されるのだ。しかもそれを専門家として偉そうに上から目線で物を言ってくる。否定から入るのでは無く先ずはヒットしている事実を受け入れ、称賛してはどうだろう?


貧乏人は否定から入り裕福な人ほど肯定から入る。とはよく言ったものだ。貧乏人は余裕が無いから必死で騙されないようにして結果クズのような情報しか届かない。裕福な人ほど騙されても余裕があるから笑い話や勉強になったで済ます事ができる。

そして染み付いてしまった根性は中々払拭出来ない。そこそこの立場で収入が安定したとしても貧乏人根性が拭えないのは哀しい性なのだろう。