3.11 | 毎日が48=twenty-four×2

毎日が48=twenty-four×2

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かつての、ジャック・バウアーの24のような生活ではなく、
24×2=48
48プロジェクト・ウォッチャーの生活です。

あの日から、1年。

いま思うと、自分の想像力の乏しさ、無力さを思い出す。

あの日、私は得意先への訪問予定があり、上司と東京駅の近くを車で走っていた。

大きな地震だったのに、最初気づかなかった。東京駅前は、当時工事中で、鉄板で覆われた道が多く、それのがたつきが影響しているのかと最初思った。

信号機も、激しく揺れていた。それも、強い風のせいかと勘違いしていた。

ようやくこれは、おかしいと思ったのは、多くの人がビルから出てきたのを目にしたとき。

それでも、まだよくわからなかった。カーステレオから流れるラジオしか情報はなかった。

その日は、会社を出るのがやや遅く、運転に自信がない私は、たまたま上司に運転してもらっていた。
(もう少し時間がずれていたら、エレベーターに乗っていた可能性が高かった)

上司は、すぐ地震に気付いたので、安全な場所を探して、車を一時停止した。

東京駅周辺の丸の内地区は、再開発のビル工事が多く、作業クレーンや資材の落下を恐れていた。

それにしてもだ。
すでに、よくわからない興奮状態のパニックになっていた。

その後は、ビル駐車場に車を止め、地上にあがり、しばらく様子見。
ビル内にあったモニターを見続けた。

東北地方に大きな地震があり、津波のニュース速報が流れていた。
聞いたことのない大津波警報という名前。ただならぬことがおこっているとわかったのは、何時だったか。

しばらく余震は続き、ビルから出ると、高層ビルの揺れ方が恐ろしいことになっていた。

工事中のビル上のクレーンも、釣竿に垂らした釣糸が激しくひいたかのように、大きく揺れていた。

揺れで道路からはみ出るビルを、目にしてしまった。体感の怖さとはまた違う。

私の地震の記憶は、地震の揺れの体感に加え、視覚的な恐怖が占めている。

その後は、必死で会社に車で戻った。これも、上司の運転だったが、大渋滞の中、抜け道を提案。『簡単にいうなよ』と、珍しく上司はイラついていたが、何とか、車線変更をし、裏道を使い、早々に帰社したのは、16:30過ぎぐらいだったか。

17時前後には、会社から早期帰宅の連絡があっただろうか。でも、そんなに時間がたたないうちに、ネットでみた『JRは終日運休』を見て、早々に帰宅を諦めた。

その後、会社は一部の人を除き、待機命令。

18時過ぎには、早めの食事を取りに、ラーメン屋に行った。コンビニにも、行ったが、すでに売り切れの商品が多かった。

特に、カップラーメンなどのインスタント食品は人気だった。

電話は、繋がらない状態が続いていた。会社の内線電話だけは、外部の拠点との連絡がとれていた。
あと、PCのメールも。

後できくと、●ーモバイルやPHSだけは、電話がつながっていたみたいだ。

ニュースで津波の映像を見たときが、最も、ショックだった。20時から22時くらいだったか。

津波の上に、火が燃え広がっている映像。

地震を思い出すとき、外からビルの揺れを見たことと、津波の上の火の映像がフラッシュバックされる。