田丸城
【築城年】不明 【築城者】福島氏 【遺構】郭・堀・土塁
【形態】平城 【別称】長久寺城
【歴史】
田丸城は築城年代は不明ですが、中世から福島地区を支配していた福島氏によって築かれた城です。
1587年(天正15年)、新領主である黒田氏の支配に抵抗する形で豊前国衆一揆が起きると、時の城主であった福島佐渡守も国衆一揆側に加わり、田丸城に籠城しました。
これに対し、黒田氏は孝高の息子の長政と、援軍として豊前に派遣された吉川広家が軍を率いて攻撃を加えたため、田丸城は落城。福島氏は滅亡します。
廃城後、城跡には長久寺が建てられ、今に至っています。
【構造】
田丸城は中津平野に築かれた平城で、往時は城の周囲に二重の堀が巡らされていたと云われています。
ただし、現在では堀は一重しか確認出来ません。
廃城後に埋め立てられたのか、現地ではよくわかりませんでした。
また、城の南西部分には、わずかに土塁の痕跡が見受けられます。
【感想】
大分県側の豊前国衆の城跡第1弾です。
田丸城の特徴ともいえる二重の堀は時間をかけて探しては見ましたが、確認出来ず…
ひょっとしたら現存の堀が外堀で、内堀が長久寺の境内にあったのではと思いましたが、これも確証を得られる遺構は見つけられませんでした。
【住所】
大分県中津市福島字寺内
【交通アクセス】
中津市から国道213号線を大分方面に向けて西進し、「中津港入口」交差点で右折して県道697号線に入ります。
その後、県道663号線と交差する交差点を左折し、10分程直進すると長久寺への入口にたどり着きます。
←田丸城東側の堀跡
西側には用水路として活用されている堀跡が直線状
に残っています。
←田丸城南西部に残る土塁の痕跡
南西部の空地(長久寺境内)には、堀に沿って土塁
の痕跡が残っています。
少しわかりづらいですが…
【訪城年月】2014年5月