日熊城
【築城年】不明 【築城者】不明 【遺構】不明
【形態】丘城 【別称】不明
【歴史】
豊前国衆の城シリーズ第4弾です。
この城も築城者・築城年共に不明の城。
1587年(天正16年)の豊前国衆一揆の際に城主の日熊氏は、黒田氏に対して反旗を翻しますが、併せて上毛地区の国人衆も一斉に蜂起します。
国人衆は、馬ヶ岳城を出陣した黒田長政を攻め、日熊城近くの観音原(桑野原)で衝突しました。
当初は苦戦した黒田軍でしたが、激戦の末に国人衆を撃破。鬼木掃部や友枝大膳といった有力国人衆が戦死し、国人衆は敗退します。
そして観音原の戦いで勝利した黒田長政は日熊城を総力を挙げて攻め、これを落城させました。
【構造】
丘陵全体が城跡だったと思われますが、城跡自体へ入れなかったので把握出来ていません。
【感想】
入口がよくわからず、丘陵部分の中腹までしか行けなかった城跡。
縄張り図も今まで作成された事がないようで、構造を把握する事が出来ませんでした。
ただ、城跡南側の水田は昔の堀跡にも見えたんですが、本当のところこれも遺構なのかどうか自信はありません…(泣)
【住所】
福岡県築上郡上毛町(旧新吉富村)大ノ瀬
【アクセス】
国道10号線沿いにある道の駅「しんよしとみ」に駐車し、そこからバイパスを横切ると徒歩10分程で到着します。
←観音原(桑野原)古戦場の看板
国道10号線バイパス沿いに立っている観音原古戦場の看板。
こういう看板が見られるようになったのも大河ドラマのおかげです。
←日熊城下から見る国道10号線バイパス
奥の電柱が並んでいるところがバイパスで、その向こうは道の駅「しんよしとみ」。
手前の畑は堀跡を転用したようにも見えますが、果たして実際はどうなんでしょうか…
【訪城年月】2014年10月