下川底城
【築城年】不明 【築城者】不明 【遺構】郭・堀切・土塁
【形態】丘城 【別称】なし
【歴史】
下川底城は築城年代・築城者共に不明ですが、少なくとも16世紀には存在していたと思われます。
当時は豊前国内でも比較的大きな勢力を持っていた宇都宮(城井)氏の支配下にあり、ここからさらに西にあった岡城の出城でした。
1587年(天正11年)に勃発した豊前国衆一揆の際の時点では、宇都宮知房の家臣である遠藤源兵衛という人物が下川底城の城主を務めていたと云われています。
【構造】
下川底城は、佐井川と岩岳川に挟まれた東西に細長い丘陵上に築かれた城です。
現地に立ってみるとこの2つの川が天然の堀の役割を果たしていた事がはっきりわかります。
城の構造は貴船神社の境内を主郭とし、そこから西に向けて4つの郭が一直線上に配置され、また主郭の東側にも郭が1つ置かれるという造りでした。
このうち主郭とすぐ西隣の郭の間は現在も深さ約6mの堀切で隔てられていますが、往時は西端の城山と称される郭との間にももう1つ堀切が存在していたようです。
【感想】
2つの川に挟まれた馬の背のような場所に築かれているため、あまり城域自体は広く感じられません。
しかし、要害の地にある事は間違いなく、ここに城を築いた築城者の意図を実感しやすいという点で良い城でした。
【アクセス】
小倉方面から国道10号線バイパスを大分方面に進み、豊前市内に入ると「豊前市千束」という交差点があります。
そこを左折し、県道32号線をしばらく道なりに行くと今度は「下河内」交差点を左折。
川を渡って左手に「合川交流センター」という施設がありますが、その手前から城内に入る道が
あります。
【住所】
福岡県豊前市大字下川底
←下川底城縄張り図
主郭に当たる貴船神社境内にある縄張り図。
2つの川に挟まれた東西に細長い丘陵上に郭が一
直線上に配置されているのがわかります。
←貴船神社境内(主郭部)
現在貴船神社の境内になっている場所が、下川底
城の主郭だったと云われています。
←主郭部東側にわずかに残る土塁
神社本殿の裏手にわずかに土塁が残っています。
当時は郭の周囲を取り囲んでいたのでしょう。
←主郭部と第2郭を隔てる堀切
主郭部から西の第2郭との間には堀切が設けられて
います。
現在は土橋がかけられていますが、当時は土橋は存
在しなかったものと思われます。
←第2郭から西側を眺める
郭が段々状に続いているのがわかります。
上の写真の段々上になっている郭を過ぎると城山と
呼ばれる郭との間にあったと思われる堀切の跡に出
ます。
ただし、現在は畑と化していてその面影はあまり感じ
られません。
【訪城年月】2014年9月