金沢城シリーズの最後になります!
今回は金沢城の出丸の金谷出丸や復元された堀、移築された建物を紹介していきます。
←金谷出丸跡
金沢城の北西に設けられた郭で、往時は玉泉院丸
と橋でつながっていました。
主に隠居した藩主や側室及び庶子が住む場所であ
り、完全なプライベート空間でした。
現在では尾山神社の敷地になっています。
←金谷出丸の庭園
兼六園と比較してあまり目立たない存在ですが、そこ
そこの規模の庭園が残されています。
←二之丸御殿唐門
金谷出丸跡に移築されている二之丸御殿の唐門で
す。
明治初期に焼失した二之丸関連の建築としては数
少ない現存するものです。
←金谷出丸と玉泉院丸を隔てる堀跡
左が金谷出丸、右が玉泉院丸です。
現在堀跡は車道となっていますが、往時はこの辺り
に橋が架けられ行き来が出来るようになっていました
。
←玉泉院丸の庭園
金谷出丸を渡った先にあった玉泉院丸は遊興空間
でした。現在、庭園の復元工事が進行中です。
ちなみに名前の由来は前田利長の正室の玉泉院が
ここに住んでいた事から来ているそうです。
←金谷出丸西側に残る総構の堀跡
金沢城は城下を取り巻く総構の堀の大部分が現存
している点も特徴です。
現在でも暗渠化される等していますが、このように
一部地上で確認出来る場所もあります。
←いもり堀と鯉口櫓台
金沢城本丸西側に近年発掘調査を元に復元された
堀と櫓台です。
近年、こうした発掘調査の成果をもとにした復元の
おかげで金沢城は少しずつかつての姿を取り戻しつ
つあります。
←尾崎神社に残る金沢東照宮拝殿
3代藩主前田光高は徳川家康の外孫でもあるため、
城内北之丸に東照宮を勧請し、歴代藩主はこれを
手厚く保護してきました。
明治になって城外の尾崎神社に移築されて今に至っ
ています。
←金沢東照宮拝殿の扉
東照宮なので当然三つ葉葵の紋が見られます。
以上、3回に渡って金沢城を紹介してきました。
遺構の残り具合も良く、なおかつ復元工事が今も進行しているため見どころが増えてきているのが現状です。
2015年3月には二之丸橋詰門と玉泉院丸庭園の復元工事が終わって一般公開されるので、今後も目が離せない城跡といえるでしょう。