発売前とはいえ、あまりにもショックを隠せないこの問題。読む気にはなれません。

三笠書房より4/22発売予定の新刊「職場の『困った人』をうまく動かす心理術」の告知に批判が集まっているという問題。
この本の帯には、その「困った人」の中に、ASDやADHDが含まれていて、「なぜ、いつも私があの人の尻拭いをさせられるのか?」とまで書いてあったそうです。
また、この書籍には、こういった困った人を「サル」に例えているようなイラストが本の帯に描かれているようで、こちらにも批判が集まっているようです。
三笠書房のウェブサイトに、社としての見解や著者の方の見解が載っているようですが、差別的な意図はなかった旨の記述が載っているようです。
個人的には、ASDとADHDの両方が診断されたのですが、この本の著者の方は、ASDやADHDを一面的にしかとらえていないように感じていて、自分も含めた当事者が、あたかも職場のトラブルメーカーであるかのような不快な気持ちになりました。著者の方は、「差別意識や偏見はない」と見解の中に書いてあったけれども、結果として「あまりにも悪意がありすぎる」と言わざるを得ないように思います。
また、三笠書房の見解の中に、「困った人」を愛らしい動物に置き換える表現にした、という記述があり、本の帯にはサルが描かれていたのですが、発達障害の人は人間扱いしないのか、と思ってしまい、かえって差別意識が強まりかねない恐さを感じています。ASDやADHDといった発達障害の人が余計に生きづらくなってもおかしくないと思っています。
こんな風に、発売前から失望させる本には出会いたくありません。これ以上、自分も含めたASDやADHDの人たちを困らせるのは止めてほしいと思います。
 

この画像は、自分の地元で撮った千葉市生涯学習センターです。

この千葉市生涯学習センターで、「世界自閉症啓発デーinちば2025」が開催されています。自閉症や発達障害の啓発パネルやパンフレット、それに自閉症の人が描いた絵も展示されていました。
また、JR千葉駅前でも、「チーバくん」を迎えて宣伝を行っていました。
来る4月2日は、国連が定めた「世界自閉症啓発デー」であり、4月2日~8日までは「発達障害啓発週間」です。それを機に、県内ではこういったイベントが行われています。
全国各地でも、同様のイベントが行われいるようで、自閉症や発達障害の人たちへの理解と啓発に努めているようです。
自閉症や発達障害に関する認知度が上がっているとはいえ、差別や偏見が解消されているとは言い難いように思います。
発達障害の人の中には、普段の生活だけでなく、学校や職場で困難をきたしていたりすることが多く、周りの人にはなかなか分かってもらえないこともあり、大変な思いをしている人がいることをこういったイベントで理解してくれる人が少しでも増えたらいいなと思います。かく言う自分は発達障害の当事者なので、こういった啓発イベントはありがたい存在です。
驕り高ぶらず、そしてポジティブに、自分の発達障害と向き合っていきたいと思います。
この「世界自閉症啓発デーinちば2025」は、4/5(土)まで開催です。自閉症や発達障害に対する差別や偏見が少しでもなくなりますように。
 

まさかこんなことになろうとは、思いもしませんでした。

音楽好きの自分にとっては、歌詞に注目することが多いのですが、何気ない言葉一つとっても、自分にとっては、うれしかったり悲しかったりします。
音楽と言っても、好きなジャンルは、J-POPとアイドルで、洋楽は滅多に聴きません。
そんな自分にとっては、恋愛とはほぼ無縁の状態でこれまで過ごしてきました。学生時代から、歌詞のような出来事が自分に起こってほしいと願ってばかりいたことがあります。
実際、女性アーティストやアイドルのCDを買っていたのも、CDを聞けば異性の気持ちが分かると思っていたからに他なりません。
でも実際は、異性に出会うことが叶わぬままここまで来てしまいました。まさに歌詞のようにはいかない人生。歌詞との差があまりにも大きすぎる現実にめげることも多くなりました。
もし異性と付き合うことが出来たとしても、自分が発達障害であることをどのタイミングで言えばいいのか、自分の発言や振る舞いに失礼はないのか、など乗り越えるハードルがあまりにも多すぎるように思います。
気が付いたらずっと独り身で、両親もいなくなり、文字通りの一人暮らし。発達障害と診断されたのも4年前のことで、もっと早く診断されていれば、と悔やんでばかりで、自分の発達障害を恨んでばかりもいます。
現状では、周りの人に自分が発達障害であることを伝えても、理解してもらえるとはとても思えず、世間一般では、発達障害に対する風当たりが強いように思います。
また、発達障害に関する公的支援も乏しい状態で、生きていくのも大変な状況です。世の中そんなに甘くはないとはいえ、好きこのんで発達障害になったわけではく、生き辛さばかり感じます。
歌詞のようなファンタジーの世界で生きていけたらいいのに。
 

と言っても、恋人と付き合う、付き合わないの話ではありません。でも、こんな自分の特性から逃れられない自分にとっては、どうすればいいのかと悩んでばかりです。

自分がASDとADHDの特性を持っていると診断されて、もうすぐ4年が経とうとしています。今でこそASDやADHD、そして発達障害という言葉が広く世に浸透するようになった感じがありますが、必ずしも発達障害の人たちに対する理解が深まっているとは言えないように思います。ネット上では今でも発達障害の人たちに対する差別・中傷や、揶揄したり嘲笑ったりする投稿が後を絶たない感じがします。
Youtubeで発達障害の人たちとの付き合い方に関する動画を見ても、「ASDの人と関わらない、近づかないのが一番」なんていうコメントが書き込んであったりして、ショックを受けてばかりです。
それも複数の人から同様の書き込みがあったり、そんな書き込みに同調したりする人まで現れて、心が折れそうになったりします。
ASDやADHDそのものを治すことは出来ないので、一生涯付き合っていかなければいけないのですが、こういったコメントには閉口してしまいます。
発達障害のことが理解されているようで、全然理解されていない現実を思い知らされたような感じがしてなりません。
そんな発達障害とあと何年付き合わなければいけないのか、なんて考えたりもします。一生涯とはいえ、あと何十年も付き合うことが辛いと感じることもあります。
学生時代から恋人を作りたいと願った自分にとっては、異性と出会うことでさえ、遠く感じます。発達障害の特性なんてなくてもよかったのに、なんて思うこともありますが、そんなことを言っても始まりません。
自分の特性に理解のある異性が現れたらいいのに。
こんな風に自分の特性について考えることが年末年始にかけて増えたように思います。精神的に苦しいことばかり続いているけれども、生きることを諦めるわけにはいきません。

こんなはずではなかったと言いたくなってしまうことばかり。本当にめげそうになってしまいます。

今年2024年も、自分の特性ばかり気にしてばかりで、恋人がいるいないで辛くてたまらない日々を送ってきたように思います。
自分のことを分かってほしいと、毎日のように願っていたのですが、願っただけで1年が過ぎていったように思います。
本当であれば、他の人みたいに、誰かを好きになったり、告白したりしたかったのですが、高校大学とほとんど異性と話が出来ないままここまで来てしまいました。
そして社会人。異性の人とどうやって付き合っていけばいいのか分からないまま、あと1年余りで50の大台に届いてしまいます。
とは言え、それと同時に、「一人のほうが精神的に楽」という考えもあり、自分にとっては、恋人が出来ても出来なくても精神的には辛く感じてしまいます。
もう恋人を作る作らないを考えることにも疲れてしまったように思います。
正直ASDとADHDの特性なんて持ちたくもなかった、と思ってばかりです。
この年末になって、何を見ても涙もろくなってしまったように思います。これ以上2024年の悲しみを引きずりたくありません。
2025年こそいい年にしたいです。