我々教師が強いることの中に、3〜40人程度のクラスメイトの前で自己紹介をさせる、というものがある。


皆さんも、一度は経験したことがあるのではないだろうか。


当然、教師になるような人間は須く人前で話すことが得意か、もしくは、好きである。
人前で話すことを生業としているような人間である。当然だ。





一方、そうでない人も世の中には一定数いる。
例えば、そういう場面で赤面してしまい、しどろもどろになってしまう。
そのことを考えただけで、憂鬱で、明日学校に行きたくなくなる人。
その場で泣き出してしまう人。





だが、基本的に、教師にはその感覚は共感されない。そのような感覚を持ち合わせた人は教師になどならないからだ。






でも、それくらい切実に、数十人を前にして話をすることを不安に思い、苦痛に思う人間がいる。







「先に言っておいてくれればいいのに。」
「わかっていれば、別の対応を考えたのに。」







と思う教師も多いのかもしれない。







しかし、人は、不安なことを人に打ち明けること程、勇気がいることはない。





不安です、が言える人は、そもそも、コミュニケーションを得意としているか、ある程度他者に援助を要請する訓練をしているか、どちらかだと思う。





人前で、自己紹介をさせる、という、教師にとっては造作もないことが、一定数の人を大変に苦しめていたということに、つい最近まで気づきもしなかった。






これは、一つの例だが、学校内で、一律に、全員に、同時に、同様なことを求めると、このように、大きな不安を抱える人が出てくる例は枚挙にいとまがないのではないか。






そして、静かにその不安と闘っている人がたくさんいる。






学校は、段階が低ければ低いほど、自分自身の選択の余地がない。






選択の余地がなく、通わされている学校で、大変に不安なことを強いられるというのは、辛いなぁ、と思う。






そして、人によっては、毎日がそういうことの連続だという人もいる。









そういう人は、今の学校システムにマッチしていないというだけで、大変辛い思いをすることになる。







自己紹介の目的は、互いを知り合う、ということだと思う。
その目的を達成する手段は多様にあると思うが、その場の権威である教師が、「一人ずつ順番に黒板の前に立ち、名前と好きなことを言おう」と、方法に介入し、指示した途端に他の選択肢は基本的になくなる。







枠組みが示されたことで安心する人もいれば、その枠組みでは、自分はとても無理だという人もいる。







その時に、不安になった人の逃げ道は塞がれてしまう。
不安なことを不安といえる、今は出来ないから他の方法をとりたい、別の方法を選択したい、ということが、当たり前になされるようにする、多様な方法が担保される、そういうことが、全員が居心地が良い集団には必要なのではないだろうか。





一方で、それくらいのこと、その時だけ頑張ってしまえばそれでおわるのだから、やらせればいい、という人もいるだろう。



それができないから、大きな不安に襲われるのだ。








今の学校のシステムの中で、みんなが幸せになる方法を考えている人はたくさんいる。



その一つが西川純先生の『学び合い』だと思う。





話が逸れてしまった。
不安なことを不安ということは、大切だと思う。
その場をコントロールすることができる人に、その不安が伝われば、助けてもらえる。





どうか、子どもたちが、全ての人が、上手に色々な不安や、困難な状況と上手く折り合いを付けて、人生を切り拓いていってほしい。幸せに日々を過ごしてほしい。





自分にも子供が産まれると、さらにその思いが強くなる。まだ、学校には通っていない。が、学齢期に達した時に、どうしても出来ないことや、多くの人が悩まないことで悩んだ時に、どうか、どうか、上手く、その状況を切り抜ける術を身につけてほしいと願うのだろうと思う。






そのような一人一人の想いや願いをしのびながら、やっていく必要のある仕事なのだろうとふと考えた。