先日。初めての免許更新講習を受講した。
どうせ、普通に受講しても退屈なので、指導者の視点に立って、教えるという行為について大切なことは何かということを考えながら、受講した。
以下は、それについて考えたこと。
1.情報の質と量、その伝達速度(テンポ)は受講者の興味の高さと認知的能力を考慮して決定すると良いのではないだろうか。
興味ある | 興味ない | |
認知能力 高 | 量、質→高 テンポ→速 | 量、質→低 テンポ→速 |
認知能力 低 | 量、質→高 テンポ→遅 | 量、質→低 テンポ→遅 |
情報処理速度の速い、認知能力の高い人々にはテンポの速い講習で構わないが、処理速度の遅い人にとっては、テンポを遅くするか、視覚提示によって情報処理を補う必要性を感じた。
まぁ、当然といえば当然のことか。
2.視覚情報による補助
視覚的情報を有効に活用することで理解が促進される。また、テキストにないことを説明するということは、それだけ重要な情報であるにも関わらず、視覚提示されないがために、理解され辛く重要な付加的情報が受け取られないという事態に陥っている。
例えば、講習の最中、事故件数の表を見ながら、話をしている部分と、資料にないデータについて話している時があった。
資料にないことについては、意図的に強調してゆっくり話すとか、ホワイトボードに書くなどしないとわざわざ伝えているにも関わらず伝わらないということが発生していた。
これは、自分も授業において陥りがちだったことかもしれない。
3.当事者性の高い情報は受け取られやすい。
「若年運転者」「高齢運転者」というように対象を限定した説明や、年齢を具体的に示した例示や、エピソードは受け入れやすい。また、指導者本人の体験談も共感作用から受け入れられやすいものだと推測される。
「私は〜」「私も〜」で語られることは無意識に注意して聞いてしまうことがわかった。
4.損得にかかわる情報だと認知されると受け取られやすくなる。
自分にとって得である、損であることにつながる情報だと受講者によって予期される場合、その情報は価値をもって受け取られる可能性が高まると感じた。事故を起こしたことによって実刑判決を受けた事例や、過失致死事件の加害情報などのインパクトも皆が感じているところではないだろうか。
「こうなったら、ヤバいな」という感覚は、人に話を聞かせる作用がある。
運転免許更新講習の受講対象者は、その属性にばらつきがある集団である。また、法定講習であることから、内容や伝え方の裁量は指導者に委ねられているわけではなさそうである。そのことから、一定の決められた枠組みや説明の仕方の中での指導者の工夫が必要となる。というか、その辺りが滲み出ることとなる。
そこで重要になるのが、受講者の持つテキストにない情報の伝達の仕方と、その量、速度(テンポ)である。これらが、多くの受講者と上手くマッチしたり、視覚情報によって補われた場合、多くの受講者にとって有効な情報として受け取られる可能性が高まるのではないだろうか。
最後に、今回、交通安全とは全く異なる視点で講習を分析しつつ、受講した訳であるが、自分の関心の高い事柄(「教えるという行為そのもの」)と結び付けて思考を深めていった結果、その副次的な効果として、受講内容(「交通安全」)そのものの理解も深まったということは特筆すべき発見であると思う。
与えられる情報そのものに対する自分の興味とは関係なく、自分の関心の高い事柄と結び付けてその時間を過ごすことによって、副次的に相手が与えようとしている内容そのものの理解も深まるということもあるのかもしれない。