師道を興(おこ)さんとならば、妄(みだ)りに人の師となるべからず、又妄りに人を師とすべからず。必ず真に教うべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし。
師弟のあるべき道を求めるならば、安易に師となるべきではなく、安易に弟子となるべきではない。必ず本当に教えるべきことがあって師となり、本当に学びたいことがあって師につくべきである。
松陰先生が26歳の時、牢屋で始めた「孟子」の講義録である、「講孟余話」の滕文公上に出てくる言葉です。
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教えたいことがあって、初めて人の師となりなさい、ということだと理解しているのですが、
教師になった始めの頃は、何を教えたいのかわからない、とか、教えたいことと教えるべきことはズレている。とか、そんなことを思っていたような気がします。
ただ、今は大切なこと、伝えたいことは自分の心の中にあるし、(それは、変わるかもしれないし、そんなものは無い方が健全とか、なくてもいいとかいう人もいるかもしれませんが、今の私にはとりあえず、ある。)、それを授業の中で、表現してきました。
それが、でき始めたのは、西川純先生の『学び合い』との出会いが大きいのですが、詳しくは、また今度。
で、今、育休に入り、とりあえず育休パパブログってなんかキャッチーな感じがするから、これを機に毎日ブログ書こうっと♪という感じで始めたわたしには伝えたいことが朧げなのかもしれません。
だから、あえてそれが浮き彫りになっていくまでは書き続けるし、書くにつれて浮き彫りになるだろうし、浮き彫りになっていけば、書くことはより容易くなっていくのだと思います。
自分と家族を大切にしながら、みなさんに何か伝えられるようにコツコツ続けたいと思いますね。