学校では、教師が子供に怒鳴ることが肯定されている雰囲気がある。
しかも、その理由は
大概が
「だらだらしている。」
とか
「ガチャガチャしている。」
とか、教師の感覚的な物差しでしかないことが多い。
そして、そんな理由で子ども達に怒鳴り、その場を緊張感で包むことを、愛情のある指導だと疑わず、
隣のクラスの担任にまで、同じような指導を求めたり、
気分で高まった自分のテンションに、他のクラスも合わせることを暗に促してくることがある。
一般社会で、そのような経営者やリーダーが望ましい姿なのだろうか。
なぜ、教師は怒鳴ることや、不機嫌でいることが愛情であると解釈されるのだろうか。
なぜ、多様な子供達を認める立場に立った指導が、「甘い」指導だと解釈されるのだろうか。
好みも問題も大いにあるのかもしれない。
昔は、体育会系と呼ばれる、緊張感が嫌いではなかった。
しかし、今は正直言って好きではない。
なぜなら、その場で不自然な緊張感を味わう子ども達のツケを払わされるのは、大概、相対的に受容的な雰囲気のある別の教師か、もしくは、家庭、保護者だからだ。
そして、その場限りの教師の不機嫌な態度や、罵倒によって形成された不自然な緊張感が子供達のこれからの人生を豊かにするとは正直少しも思えないからだ。
教師が怒鳴ることをよしとする、怒鳴ることが愛情表現とされるのは、そろそろ終わりにしたい。
教師の不機嫌によって作られた緊張感は実は何も生まないことをみんなで確認したい。
教師の笑顔や、well-beingが、子ども達の人生を豊かにするのだということを、生き方で証明したい。