教育という営みは、あらゆる人々から、「変化」というキーワードとともに、語られてきた。
「成長」と言い換えてもいいし、「向上」とか「~ができるように」とか言い換えてもいい。
あらゆる教育的な営みの根底には、そういう「変化」とその変化の「可能性」が想定されている。
「教育」は自分にも、他人にも「変わる」ことを要求してきた、といえる。
しかし、
私は、変わることを要求することが教育の本質ではないように思う。
人の心の根底にあるのは、
変わりたい
という想いではなく
このままの私を愛してほしい。
このままのあなたを愛したい
だと思う。
それが達成される瞬間、ひとは自ずと変わっていくのだと思う。
なぜなら、人は自ら変わらざるを得ないからだ。
人が変えようとしなくても、自ら変わるように出来ているのだ。
変化に抵抗する唯一の理由は
今の私を、このままのダメな私を心から許し、認め、愛してください!!!
という心の叫びなのだと思う。
だから、
自分が心から、今の未熟に見える、愚かに見える、ダメに見える、今の自分を、許し、認め、愛することができる瞬間、
ひとのことを、認め、愛し、許し、そのままにしておくことができる。
そのままでいい。
と、思う子は、自ら勝手に変わっていく。変わる必要がない子ほど自信満々に成長していく。
変わってほしい
と私が、思ってしまう子ほど、
その場に留まろうとする。
その子は、
実は自分自身なのだ。
このままで、ダメで、未熟なままで、そのままで愛してほしい!
としゃがみこんでいる自分自身がそこに映し出されているだけなのだ。
教育における最大の矛盾
それは、
何も変える必要がない
と
わかった瞬間に、
すべてのことが
自ずから
変わる
ということだ。