<天下りって悪いのか?>

最近、天下りについて色々と世間をにぎわせていますが、天下りとはそもそも悪いものなのでしょうか?


先日、「天下りとは何か?」という本を読み、色々と「天下り」を擁護されている内容でしたが色々と考え直させられることがありました。

それは、高学歴で出世した人がその類まれな能力を生かす必要性があるところなら、当然それに見合う対価(つまり給料)はもらう権利があるのではないか?ということです。


皆さんご存知の通り、天下りとは官僚(つまり、国家公務員で且つキャリアと呼ばれるランクに位置づけされた人々)が各省庁(総務省とかのこと)が所管する(管理監督する)独立行政法人(会社ではない団体、利益を目的にしない会社みたいな法人)に、転職しそこでの給料や退職時の退職金を受け取ることを言います。


ちょっとわかりづらいかもしれませんが、実は民間では同じようなことをしています。

例えば某大手電気メーカさんは、色々と子会社を持っていますよね。そうするとどうでしょう?

○芝⇒○芝情報テクノロジーズ⇒○芝テクノインフォーメーションなどという形で、大手の本体で働いていた方が子会社に移り、更に孫会社に移るというのはよくあることです。


なぜか?それは、若手に席を譲ることが主要因ですし、年齢に応じて能力が衰えてくる方もいるでしょう、または多くの方々が働いていますから派閥争いもしかりです。

そういう方々の受け皿的な役割に子会社が使われます。もちろん、技術に長けた方なら本体にいるより、もっと専門的にやる業務につかせてあげることで更なる能力を発揮できることもあるでしょう。

そういう意味でも子会社が必要であり、その会社のグループで情報、技術を伝承させることで繁栄を築き上げているということになるかと思います。


この民間のやり方とを見比べると、一見国の天下りも悪いとは思えません。


技術を持った方々がいつまでも省庁にいるより、その専門性を生かしてその業務に特化した独立行政法人で業務すれば国にとっても、税金を納めている我々にとっても最善な方法です。


でも、本当に全員が全員そうなのか?というと、実はそうではないようです。

そこにメディアが一斉に目をつけ、国民の視線を釘付けにして国民もずるいことには関心を示しますので、悪い奴らだ!と一斉に集中砲火をしているのかもしれません。


天下りの悪い例は、民間とは少し違い、退職金をかすり取るようなやり方が典型的な例です。

独立行政法人の理事(民間で言うところの取締役)などを2~3年で交代させるので、そこで退職金が発生します。なぜ交代させるかというと、次が詰まっているからです。

給料も1,500万以上、退職金も2,000万とか、3,000万とか。。( ̄□ ̄;)


このような状況下では、国民の視線も「悪」というレッテルの元集まってしまいますね。。


ただ、ここでいう理事とか理事長になる方々は各省庁で大活躍されたような方ばかりであり、政界や財界に太いパイプを持っている人がほとんどです。

どんな仕事をするにも人とのつながりが重要です。そういう意味では全くのずぶの素人に理事をやらせるよりかははるかに知名度の高い人たちであり、またその分野では相当な見識を持っている人たちでもあるのです。

ですから、天下りそのもの自体は私はお金と行為そのものを分離して考えるべきだと思っています。


例えば、給料は1000万~1500万(理事や理事長とに区別)、退職金はなしという方向であれば、もう少し違う形になると思うんです。

なぜ、国民の税金で一回辞めた奴らがそんなに高給をもらえるのか?という疑問が残るかと思いますが、少なくとも彼らは高学歴で高出世した方々です。つまりは、民間にいても引く手数多の方々です。高学歴はどこにでもいますがその中でも出世したとなると相当な能力のある方々であるというのもうなずけるはずです。

ということは、彼らはお金の部分を除いたら国の財産であり、この能力が天下り廃止に伴い埋もれてしまうならそれは国の財産を捨ててしまうことにもなると思うのです。


欧米では、社長級の転職サイトやエージェント(橋渡し役)が珍しくありません。つまりはトップ級まで上り詰めた人々は他でも活躍できる力を持っているということですが、残念ながら日本にはトップ級の転職はまだまだ珍しく中々ライバル会社にポンと転職するようなことはあまりありません。

そういう文化的な流れからも、自分達のコネが通るような場所に天下る、そこでどれだけお金がもらえるかを一生懸命に考えるという仕組みができてしまったのかもしれません。


だからこそ、お金と彼らの能力は分離して考えるべきだと思います。

(お金以上にやりたい人はたくさんいるのではないでしょうか?)