ミスと罰 | わたしのしらなかったこと

ミスと罰

人間誰しもミスをするが、それに対して受ける罰の大きさは、人それぞれ。

同じ職種の会社であっても、遅刻してもそれ程大きな問題にならない会社もあれば、クビになる会社もある。

その違いは、経営者の方針であったり、その会社の慣例であったり、その時の上司の気分であったりと、様々な要因が重なったものだと思う。

今の世の中は、同じミスに対する罰に差があることが普通で、それを悪用する者も普通にいる。


悪い事をしたからといって、暴力を振るったり、金品を要求したりと、ヤクザに近い振る舞いをする者もいるし、会社では少しのミスで懲戒免職に追い込むケースもある。

人に対する好き嫌いで、罰の度合いが違うことも普通。

こうした事が起こっている理由の一つとして、ミスに対する基準が無いからだと思う。


交通ルールがある程度守られているのは、その規則に対する罰則がきちんと決められているからだと思う。

普通車の場合、一時不停止は7千円の罰金で済むが、飲酒運転では
 5年以下の懲役又は100万円以下の罰金と、犯した罪に対する罰則が、細かく決められている。

だから、一時不停止をする人は多くても、飲酒運転をする人は少ない。


この様に、運転時だけではなく、学校や会社や日常生活でも、ミスに対する罰則を明確化したらどうかと思う。

もちろん状況に応じた対処は必要だろうから、罰則の上限だけを決め、それ以下にするという風に。

こうした指標を作ることによって、多くの人は自制できるのではないかと思う。


遅刻一回に対し、学校であれば校庭の清掃1回とか、会社であれば給料半日分の返還とか。

人から物を借りても返さなかったら、クレジットカードのブラックリストに登録されるとか。


ミスは誰にでも起こり得る事だからこそ、わかりやすい罰則が必要になると思う。

ミスには罰則が無いと、悪意を持ってミスを誤魔化す者が増えてしまうから。

だからこそ、罰則には公平さが必要だと思うし、今柔道で体罰が問題になったりするのだと思う。

「この程度の失敗に対しては、この程度の罰則がある」と最初から決めて公表しておけば問題は無い。

「場合による」なんて言葉は、考える事を放棄した逃げの言葉だろう。

交通ルールがこれ程守られているのは、例外をほとんど認めない警察の力によると思うし、今のところこの方法が最善だと思う。