有川浩作品はいくつか読んだことがあったが、どの物語も「正義と悪」「強者と弱者」という構図から逃れきれていないような印象だった。主人公たちに仇なす者はすべからく絶対悪で、明確な悪意でもって主人公たちを脅かしにくる。そしてそれらの悪を倒すことで主人公たちの正義が証明される。物語としては非常にわかりやすいし、勧善懲悪エンタメの王道と言える展開だとも思う。
けれど悪の側にあまりにも配慮がないというか、悪にだって悪の事情はあるのでは……と思わずにはいられないこともしばしばあった。悪者に悪の役割を押し付けすぎではないかと、どこか釈然としないまま読み終えるのが有川作品の常だった。
『レインツリーの国』は、有川浩がその「正義と悪」の二項対立から初めて逃れた作品のような気がした。
印象的な場面がある。無自覚の悪意に晒されたヒロインが「私はもうあの人たちを同じ人間と思わないようにしている」と諦めの言葉を吐き、それに主人公がキレるシーンだ。世界で自分しか傷付いたことがないような顔をするな、と。誰にも理解されない悲劇の存在だったヒロインが、「弱者」ではなく主人公と対等な人間として向き合うきっかけになった場面だと思う。そして図書館戦争などで顕著だった、有川浩作品における絶対的な悪と正義の構図が崩された場面でもあると思う。
障害が理解されないのは相手が悪いのか? 障害を持っていれば誰もかれもが悪意をもって接してくるのか? 弱者なら誰を信じなくても許されるのか?
もちろん、当事者でない人間が障害を100パーセント理解出来るはずがない。理解しようとする心が当事者にとって重荷になることもあるだろう。けれどそれらの歩み寄りひとつひとつを拒絶するのは、障害以前に人間どうしの歩み寄りの拒絶と同じだ。わかり合えなくてもそばにいることは出来るし、わかり合えないことが「他者を理解しよう/理解してもらおう」という努力を放棄していい理由にはならない。
絶対的な正義と悪という対立構図を越えて、人間どうしが繋がりを深めることの困難さ、それを乗り越えていこうとする人たちの強さと美しさを見せつけられた作品だった。主人公とヒロインの2人の行く末が明るいものであればいいと思う。