【プロ野球】名珍外国人列伝 ロブ・ディアー | kii(´・ω・`)chanのブログ

【プロ野球】名珍外国人列伝 ロブ・ディアー

プロ野球界では毎年数多くの外国人が大きな期待と共に来日し、またその一方で期待された成績を残せずにひっそりと帰国していきます。その中で私の記憶に残っている外国人選手をご紹介するこのコーナー、今回は西の大型扇風機、ロブ・ディアーです。
  
ロブ・ディアーは1960年9月29日、ディズニーランドがあることで有名な観光地でもあるカリフォルニア州オレンジ郡で生まれました。1978年6月のアマチュアドラフトでジャイアンツから4巡目指名を受け入団し、1984年9月にはメジャーデビューを果たしますが、その後ブルワーズ、タイガース、レッドソックスとチームを点々と移り変わりました。そんなディアーの特徴は「三振か本塁打※1」の極端さです。来日までの1993年までの10シーズンで1130試合に出場し3831打数226本塁打。その一方で1379三振を記録しています。打率.220、三振率(三振/打数)はなんと.360!1987年にはア・リーグのシーズン最多三振(186三振)を更新※2。更に1991年(タイガース)には打率.179という、規定打席到達者として1901年以降のMLBで史上最低の打率を残しました。ちなみにその年の三振率は.391…。恐ろしいまでの低打率・高三振率です。以前紹介した「東の大型扇風機」ピート・インカビリアと比較してもその凄さがわかります。当たれば抜群の飛距離、でもなかなかバットとボールが当たらないという宝くじみたいな選手だったのです。とはいえ本塁打は確実に点数の入る攻撃方法。1993年にはその年俸は200万ドル(当時レートで約2億1600万円)まで上がっていました。
※1 TTO(Three True Outcomes)という指標((本塁打+四球+三振)÷(打数+四球))でもディアーは好位置にいます。


当時阪神は左のトーマス・オマリー、右のジム・パチョレックという巧打者を揃えていましたが、1993年シーズン途中にパチョレックが身体の衰えから退団となり右打ちの外国人野手の補強が急務でした。ここで白羽の矢が立てられたのがディアーだったのです。ディアーの招聘のために阪神が用意した年俸はなんと2億7000万円!「メジャー通算226本塁打」というディアーの良い一面がクローズアップされ、「メジャー史上最低のシーズン打率」「三振製造機」という暗黒面はほとんど伝えられませんでした。とはいえ当たれば飛んでもない飛距離の打球を飛ばしていたのは事実で、春季キャンプ地であった安芸市営球場には「フィルダーネット」を超える「ディアーネット※3」が急遽設置されるほどでした。
※3 今でも安芸市営球場にはディアーネットが設置されています。

しかしシーズンに入ると、内角球には仰け反り外角の変化球には全くタイミングが合わずに空振りばかりで三振を量産。そうです。ディアーのダークサイドが姿を現したのです。しかし当時の阪神監督であった中村勝広は「そのうち打つだろう」という何の根拠もない考えで実績のあった亀山努をベンチに下げてまでディアー起用を続けます。来る日も来る日も三振し続けるディアーという「2億7000万円で買った宝くじ」が当たることを辛抱強く信じる中村監督でしたが、さすがに高い買い物だったと諦めがついたのか、5月末頃からディアーの出場機会は激減。更に8月には右手親指靱帯を断裂し帰国。再び来日することはなくそのまま退団となりました。

帰国したディアーは1995年4月にエンゼルスと契約するものの、メジャー昇格を果たせないまま同年6月に解雇。その後パドレスで1996年にメジャー復帰しましたが、50打数で30三振(三振率.600)という驚異の三振率をマークしただけで解雇されました。現役引退後、ディアーはパドレス傘下のマイナーチームで打撃コーチに就任しましたが、「俺のスイングを真似するな」となかなか面白いことを語ったといいます。

ディアーの獲得以後、阪神の獲得する外国人野手はことごとく活躍しない暗黒時代に突入していきました。未だに阪神ファンの心には「自前獲得の外国人野手は活躍しない」というトラウマが澱のように溜まっています。果たして今年は…。


【ロブ・ディアー】
NPB在籍1年(1994年阪神)
70試合 226打席 192打数 29安打(打率.151) 21得点 8本塁打 21打点 0盗塁 32四球 2死球 76三振