ハ—ビ—さん 2
あれは確か1995年頃だったと思う。
南アフリカの東にあるフランス領レユニオン島に行った時の話。
パリから約11時間のフライトで着く島は、とにかくミステリーに包まれていた。
横の座席には、巨漢のあのジャッキー・バクスタ—がいて、窓側には息子のジョシュ・バクスタ—が座っていたのを覚えている。
レユニオン島でオックスボゥの世界選手権が開催されるため、世界中から選手が集まろうとしていた。
到着早々、いつものように(笑)タクジとジョエルが喧嘩をはじめ、いつものように僕が仲裁に入ってなごめていた。
ショウロクと同じ部屋だったはずの僕は、この喧嘩により、急遽、ジョエルと同じ部屋に泊まることになった。
1990年初期にビラボンが出したサーフム—ビで、オッキーとロニーバ—ンズが滑ったあのレフトの目の前のホテルだ。
サンルーポイントはおもしろい波で、テイクオフ時に頭半ぐらいの波が、インサイドコ—ナ—でダブルぐらいにはねあがり、そこを抜けると深いチャンネルにぶつかり、波が地形に沿ってカ—ブしはじめる波だった。
残念なことに、今はサーフィン禁止になった。
理由は、サメだ。
レユニオン島は、富士山みたいな山が中央にあるので、ちょっと沖に行けば水深がガクッと深くなる地形をしている。
太古の昔、大海原に突如噴火してできた島。
沖合いはサメの巣で、とにかくサメだらけの島だ。
20年前の当時から、何人もサメに食われていて、僕らの滞在中も他のポイントで腕を噛まれた話を聞いた。
今は、当時より頻繁にサメが出現するので、ついにサーフィン禁止になったのである。
話を戻して、滞在中に一度だけトリプルオ—バ—の日があった。
緊張でゲロが出そうだったけど、地球の反対側まで来て、こんな日に逃げるわけにはいかなく、特にジョエルと同じ部屋で、朝から二人でやるぞ!やるぞ!と気合いを入れていたのを覚えている。
本当のことを言うと、二人ともオオビビリだったけど、負けず嫌いだから、やるしかなかったのである。
沖にいるサーファーは10人もいなく、僕はあまりのデカさにとっとと一本乗って上がった。
しかもその一本は、僕の番なのにジョエルが前乗りしようとしていて、僕は大声で怒鳴ったのを覚えている。
海から上がったあとに、『ジョエル、勘弁してくれよ!あんなデカイ波、前乗りされたら、たまんないよ!』と言ったら、『NO! 俺は、まさかお前があの一番デカイのを行くとは思わなかったんだ』と言っていた。
そんなある日、ホテルの前の岩場を歩いていたら、突然、ハ—ビ—さんが僕を呼んでいる。
近づくと『ジミークリフのコンサートが今からあるから行くぞ!』と誘われ、僕は、ジミークリフという人を知らずに『オッケー!レッツゴー!』と返事、コンサート会場に向かった。
すると、会場に入る入り口は一つの門で、その横は万里の長城みないな高い壁になっている。
2つのチケットをハービーさんが購入し、その門に向かった。
順番関係なく、何百人もの島民が一つの門をくぐろうとしていた。
僕らもその門に向かい、なんとかしてあと一息でくぐれる時に、なんと!!門が閉まってしまったのである。
すると、黒人と白人の混血がほとんどの島民達が猛牛のように怒り狂い、門めがけて前進してきたのである。
後から分かったことだが、たぶん、レユニオン島の島民はジミークリフの大ファンで定員オーバーにでもなったと思い込んだことだろう。
すぐさま押しくらまんじゅう状態になり、その瞬間に僕の頭の中は『あっ!これはヤバい!! 、ハ—ビ—さんヤバいよ! みんな怒り狂っているよ!』…ハ—ビ—さんは、『俺は背が低くて見えないから、お前に捕まるよ!』と僕に抱きついて来て、『とにかく、何があっても転ぶな!転んだら、絶対におきあがれないぞ!たくさんの人達に踏まれて呼吸困難になるぞ!』と僕は叫んでいた。
押しくらまんじゅうのアウトオブコントロール状態が数分続き、大衆の波が僕らを圧迫してまったく身動きができない。
気が遠くなりはじめた。
呼吸も困難になってきて、僕らは弱りはじめていた。
その時に一つのアイデアが浮かんだ。
『ハ—ビ—!、壁まで3メ—トルぐらいだから、とりあえず壁までなんとかして行こう!』
ハ—ビ—さんは、『デイヴィッド!俺には何も見えない…ただお前に捕まるしかできない…』…そんな切羽詰まった会話をしながら、死に物狂いでなんとか壁にたどり着き、ハ—ビ—!壁を登れ!僕はハ—ビ—さんの片足まで手を伸ばして持ち上げ、ハ—ビ—さんは僕を踏み台にして登り始め、最後はスタンディング肩車状態で二人で壁に張り付いていた。
身動きがまったく取れず、底なし沼にでも沈む心境で、僕はハ—ビ—さんを肩に乗っけてただひたすら耐えることしかできなかった。
もう気が遠くなるばかりで、すべてがスローモ—ションに映り、ただ耐えるしかなかった。
すると、門が空いた☆
少しずつ人が門をくぐり出した。
それを横目に僕らは言葉ではいい表せない安堵感にひたっていた。
助かるんだね~、、、そう思うぐらい、今でもあの体験はよく思い出す。
おそらく、あまりの人たちが一つの門に殺到して、主催者側の誰かが
門を閉めようと判断し、それが逆効果になった出来事だと思う。
のちに、数名が救急車で運ばれ、その後の情報は知らない。
異国で心細い時に、みんなで乗りきったあの数々の経験は、心の財産となって今も僕の中で生きているよ。
それは、ハ—ビ—さんの表情も物語っているね。
大貫海岸
ファンタジーアイランドにて
においての自分のサーフィンスクールは20日で無事終わり、今は千葉の勝浦へ戻ってきている。
今年はオホーツク高気圧が強く、茨城も北東の風『やませ』の影響を受け、毎日曇り空が多かった。
それでもたくさんの人達がスクールを受けに来てくれて、僕が17日間で教えたスクール生徒の人数は、約100人。
20代、30代,40代の男性が6割、女性が2割、2割がファミリ—だった。
皆さん、どこから来たの?と訪ねると、宇都宮、那須、水戸、土浦、群馬方面、千葉北、東京、埼玉が多かったね~。
ほとんどの人達が、はじめてサーフィンをするといった人達。
じつは、僕はその人の歩き方や体格を見た瞬間に、だいたいこの人は今日立てるな~とか、この人は苦戦しそうだな~とかわかるんだよ。
やっぱり、軽い人はすぐ立てて、ちょっと重い人は苦戦する。
でも5回ぐらい押せば立てるね。
いまのところ100人教えて、その日に立てなかった人は2人ぐらいかな…。
なぜ!?はじめてサーフィンする人達が、これほどの確率で立って少し滑ることができるのは、やっぱり波質なんだよね。
波が小さい日の大貫海岸は、パドルより、歩いて簡単に沖に出れるので、初心者でも簡単に教えることができるんだよ。
たくさん波が来る中で、スロープの緩い波を狙って押すんだけど、この時の先生の波選びが重要。
初心者をパ—リングさせるわけにはいかないから、緩いスロープの波を探して、少しだけ押す。
それでも立てない人達には、地元のサーファーから教わった必殺技を使う。
テイルを押した後にそのまま後ろからボディーサーフィンをして、テイルを最後の最後ま離さず、ボードを安定させて立たせる技。
でも、必殺技を使うとすごく疲れるから、苦戦して立てない人達だけに使うんだよね(笑)。
あのはじめて波に乗った瞬間…みんな一生覚えていると思うけど、サーフィンはやっぱり凄いね~!
全員、何これ! 何この足裏に伝わるなんとも言えない浮游感。
楽しい♪楽しい♪の連発だよ。
第二次サーフィンブ—ムから20年。
もはやブ—ムという言葉はなくなり、サーフィン人口はずっと右肩上がり。
こんなに楽しい経験は、世界中いくら探してもないから、サーフィン人口がこれから世界中で右肩上がりになるのは当然なんだよね。
大洗は、沖に堤防があり、あらゆる角度の風に強く、しかも、ビギナー最大の強みである遠浅のビーチだから、たくさんの人達が集まるだよね。
大貫海岸のローカル達ともたくさんの友達が出来て、お世話になりました☆
朝は
波が小さく、えっ!?と思ったら、10時過ぎから急激にサイズアップ。
見る見るうちに、クロ—ズアウトに変貌。
今回の台風は、読めないね~…高気圧で八方塞がり…どうなるんだろう?
近年まれにみる超停滞型台風で、波乗りする人にとっては、待ちに待ったグランドスウェル。
でも、本当に去年の上陸した台風がトラウマになってて、上陸して欲しくないなぁ~…去年は命の危険を感じ、自然の猛威を思い知らされたから…とりあえず、雨戸はすべてよし!!
でも、きのう30年ぶりにスズメバチに頭を刺されたよ、どうやら、屋根裏に巣を作ったみたいで、マジでかよ!って感じ。
どうやら、冬までスズメバチと共存して生活しなきゃいけないみたい。
巣の場所を通る時は、スズメバチにひと言、通ります、刺さないでとお願いして今日、5回ぐらい通過したら大丈夫だった。
きのうは、巣があるのを知らず、材木をガサガサいじっていたから、刺されたのかも?
写真は9時頃、うちの沖パ—フェクション☆
こないだの
日曜日あたりからじわじわ台風スウェルが入り出した房総半島。
今日から本格的なうねりが届き始め、これから一週間以上も台風5号と9号のミックススウェルが続く。
フィリピンの東では新たに9号が発生して、北上中。
5号、9号と長い間日本列島の南海上で複雑な動きをしながら、場合によっては上陸もあり得るね~。
去年の今頃は、台風が上陸して、雨戸のレ—ルに風が吹き込んで、雨戸を吹き飛ばし、ガラスが多数割れ、天井が剥がれたり、壁が破壊されたり、散々な目にあった。
今年は、雨戸のレ—ルに風が吹き込まないように、頑丈に作ったから大丈夫そうかな~。
最近は、目まぐるしく忙しい…今日は、久しぶりのファンサーフと久しぶりの小雨で涼しく、いい昼寝ができた。
21日と23日は、久しぶりの原発の講演でスラスラ話せた。
正直、話足りない感じで、言いたいことがたくさん眠っている自分がいる。
さてと、週末から3日間仙台で、その後は車の宣伝の撮材で、新潟の南魚沼に行く。
そして、再び3日から大洗だよ~…千葉、神奈川、茨城、東京、宮城、新潟と、いろんなところに行く。
写真は、頭ぐらいだよ。
こないだ
photo by kumano
横浜で開催されたグリーンルームフェスティバルにて、18年ぶりに再会したハ—ビ—さん(笑)
ハ—ビ—さんとはじめて会ったのは、パイプラインハウスにステイした時。
当時、僕は19歳、ハレイワで行われる第一回目のオックスボゥロングボード世界選手権に日本代表として出場した時だった。
桝田 琢二がパイプラインハウスの部屋を借りて来てくれて、琢二が3階、僕は2階に、ジョエルとコリンは一階にステイした時だった。
その時に、パイプラインハウスによく現れるおじさんが一人いた。
僕は、若くてやんちゃで、このおっさん偉そうに毎日来るけど、誰なんだぁ~?
金払って泊まってないくせして、毎日来て、自分の家のように使っているし。
そんなある日のことだった。
昼寝して起き、一階の庭に出ると、なんと?!僕のボードにテ—ルからノ—ズまでびっしりアストロデッキが貼ってあるではないか?!
横を見ると、ハ—ビ—さんと琢二とジョエルがいて、みんなでニヤニヤしている。
僕は、すぐさまにブチキレて、こんなカッコ悪い!!の人が昼寝している間に勝手に張りやがってと、その場で全部ビリビリに破ってはがしてしまった。
ハ—ビ—と琢二は、せっかく張ったのに何するんだぁ!みたいなことを言っていたが、あまりの僕のブチキレに、最後は二人とも申し訳ない顔をしていたのを覚えている。
そして、そんなある日、パイプラインに波がたった。
僕は、到着そうそう、頭半ぐらいのパイプでワイプアウトしてしまい、なんと!?自分のボードのフィンで足首のところを10針も縫う怪我をしてしまい、見学していた時である。
ハ—ビ—おじさんが、6~8feetのパイプラインに、ロングボードを持って向かったのである。
僕は心の中で、『マジかよ! このおっさん! 本気か!』と思っていて、横にはジョエルもいて、みんなで見入っていた。
セットが来て、緑色のロングボードのハ—ビ—さんが、板を返した。
ボトムまで見事に降り、そのままグラブして、少しチュ—ブの前だったけど、そのまま見事にメイクした。
パイプラインハウスからは、『イエ—!!!ハ—ビ—!!』とジョエルも琢二も大喝采だった。
僕は、何、この人、凄いんじゃん! 偉そうに毎日来るけど、ただ物ではないとこの時に知ったのであった。
あのドロップは今でも脳裏に焼き付いていて、僕は、この日を境にハ—ビ—さんを尊敬するようになった。
そして、のちにわかったのは、ジェリーさんと共同出資でパイプラインハウスのオ—ナ—だったのである。
僕はてっきりジェリーさんの家と思っていて、まさかハ—ビ—さんもオ—ナ—だとは、知らなかった。
どうりで自分の家のように使っていたわけだぁ~。
そして、第2回、第3回…とオックスボゥ世界選手権が毎年世界中で開催され、そのたんびに、ハ—ビ—さんはみんなのライディングをビデオにおさめて、商売をしていた。
日本でたくさんビデオを売りたい為によく誘われるようになり、僕も世界の大物と一緒にいれることが、言葉では言い表せないほどの喜びと冒険心を感じていた。
ハ—ビ—さんとは、どれほどの時間を一緒に過ごしたことか!?
続く
次回は、二人で死にそうになったレユニオン島のエピソードを書きます…
すごい豪雨
だったね~九州北部。
あれだけの雨量は記憶にない。
一番の要因は、長い間波がなかったからだと思うよ。
波が長い間ないということは、海面がかき混ざらないから、直射日光で海の表面温度はあっつあっつだったはず。
そこに台風3号が発生して、九州に湿った空気を運び、足早に日本列島を横断した。
台風3号がこの時期に時速60キロで抜けたのは、上空のチベット高気圧が太平洋高気圧の気流と重なった為と言われている。
豪雨の原因は地形も関係していて、山の両脇を通った2つの湿った空気がぶつかり、なおかつ行く手に山があってなかなか雨雲が動けず、長い間同じ位置にとどまった。
今後、この時期に2か月もなかなか波が立たなかった後に台風が発生して、湿った空気を残したら要注意だね。
それと、台風の足早というのが妙に気になってて、速度が速いということは、気流の流れが速いということだから、あの九州北部にたくさんの湿った空気が集まった。
掃除機みたいに、、、。
いつもより速い気流の流れがあの豪雨の位置にあり、よりたくさんの湿った空気を集めた。
まとめると、熱い海水温+気流の流れ+地形ということになるのかな。









