神奈川民族教育フォーラム~1部演劇と映像編~ | park42

神奈川民族教育フォーラム~1部演劇と映像編~

神奈川民族教育フォーラム無事成功裏に終えることができました。


朴英二ブログ

フォーラムが行われたKAAT(神奈川芸術劇場)


さて掃除のおばさんはどこにいるでしょう?



一回のブログですべて書けないので今日は1部について書きます。


1部では、神奈川での民族教育がどのように始まったのかを演劇と映像で描きました。


朴英二ブログ

神奈川中高の屋上からの景色。


いまは横浜駅にビルがたくさんたちましたが、僕が学生の頃は、太平洋の海が一面に広がっていました。


神奈川朝鮮学園の敷地には、横浜初級学校と神奈川中高がならんでいます。


僕は、小学校2年生の時に、大阪から引っ越してきてこの学校に11年間通いました。


一日の利用者数が日本で4番目に多い横浜駅から徒歩15分…沢渡の高台にあるハッキョです。



神奈川朝高出身の人たちを見て…ちゃらいという人がいます。


たしかに他の朝高生と比べ…格好とか髪型をみると、なんとなくそんな気もしないこともありません。


そこには僕なりの自論があります。


横浜初級~神奈川中高に進む学生たちが、毎日毎日横浜駅を通ります。


当時は、みなとみらいもなかったので、横浜駅周辺に繁華街は集中していました。


中学高校になると学校の帰りに横浜の繁華街で遊ぶわけです。


夏には湘南に遊びに行きます。


ファッションの影響はかなり受けていました。


バイクに乗っている学生もほかの朝高にくらべて多く、ヘルメットをかぶるのにパンチパーマは適していません。


一部サーフィンをする先輩とかもいましたが、パンチにボードは似合いません(><;)


僕たちの時代に流行ったファッションとしては、パパスとかだったんですが


トラサルディとかピアスポーツを知ったのは東京朝高の人たちに出会ってからでした。


とま~話はそれましたが、若干軟派な雰囲気があったのは事実だと思います。。。



同校出身の人は横浜の高台のハッキョが大好きです。


でも過去この土地にどのようにハッキョが建てられたのかはあまり知られていません。


僕自身も知らなかったので、それを描けたら面白いんじゃないかと1部の映像と演劇のタイトルを「沢渡の丘の上」としました。


当時七千坪の土地を54万円で買い入れたそうです。


閉鎖令のあと神奈川朝鮮学園は横浜市立青木小学校の分校になります。


日本学校の分校だった時代、県下連合運動会が行われ300名の警官隊が押し寄せて青年たちを連行していきました。


その時、青木小学校分校の斎藤校長も一緒に戦ったと知りました。


そんな当時の話を1部演劇で表現しました。


内容のほとんどを本当にあった話で構成しました。セリフも当時の言葉をそのまま使いました。


街頭でカンパを集める学生たちのシーンがあります。


当時使われたビラが読み上げられました。


「…私たちの親は貧しくて、自分たちの力だけでお金を集める事ができません。日本のみなさんどうか力を貸してください。お願いします…」


このシーンはいらないんじゃないか?という声もありましたが、あえてラストシーンに持ってきました。


なぜそのシーンをラストに持ってきたかは、ご覧頂いた皆さんがそれぞれ考えて頂けたらと思います。


※DVD化する予定なんで是非ご覧ください。


今回1部に19名が舞台に上がりましたが、本当に短い練習期間の中で頑張りました。


練習期間実は2週間です。実際は7回の練習でした。


ほとんどが演劇を初めて経験する人たちだったんですが、素晴らしかったと思います。



僕自身はというと、反省点がかなり残りました。


もっとこうすれば良かったとか…こうするべきだったとか…そんなんばかりが残って。。。


今後の糧にしたいと思っています。



そろそろ眠気が限界にきました。。。


もうプチプチを敷いて寝なくて済むので嬉しいです。


プチプチを床に敷いて寝ると…床で寝るより痛くないです。って当たり前か…


でも寝がえりをするとプチプチ音がなります。


布団がないとき!


仮眠をとりたいとき!


すぐ起きなくてはいけないとき!


プチプチお勧めです!!



というわけで続きは後日。。。