人生に影響を及ぼしている哲学の話
日頃の自分の行動や発言強いて言うならば人生に強い影響を及ぼしているもの
それは「哲学」です。
哲学についてさほど詳しいわけではありませんが、学生時代に学んだ哲学が今も残っているのは事実です。
哲学というと難しい学問に感じるかもしれませんが、
誰でも「座右の銘」をもっていると思います。
その「座右の銘」は偉人の名言だったり、身近な誰かの言葉だったりするわけで、僕にとってはそれとほぼ同じような感覚のものです。
※本来哲学は「物の見方考え方」であり、生き方自体がその人間の持つ哲学によって左右されるものですが、哲学というものに精通しているわけでもない自分にとっては、「座右の銘」に近いかもしれないという意。
僕の「座右の銘」は置いといて、その他にもいくつか常に意識しているものがあります。
その一つが「否定の否定の法則」です。
唯物論的弁証法の基本法則の一つですが、すごくわかりやすかったので18歳の時にはじめて聞いてなるほど!と思ってからいままで忘れずにいる法則の一つです。
もちろんご存じの方も多数いらっしゃると思うのですが、あえて簡単に説明すると。
Aを否定する事により非Aになり、非Aをさらに否定することでA´になる。
なにかを否定して、それをさらに否定することで発展していくという事です。
TOYOTA方式の「改善」を思い浮かべてください。
「改善」をするためには、直すべきところを否定しているからこそ「改善」されていくわけです。
もっと身近な話で言うとCMにありましたね「変らなきゃも変らなきゃ」
…
「自分の考えを否定する。」
お分かりだと思いますが、自分の考えを否定するという事は、ただ単に否定しているのではなく、その過程で発展できると思うからこそ否定できると思うんです。
否定の先が見えないのに否定してしまうと立ち直れませんから…(・・;)
でも…これは言葉で言うように簡単ではありません。
普通は、誰もが自分の考えは正しい!間違っていない!と思いたいものです。
それで安心するんですね。
でも別の言葉で言うと、それは凝り固まるという事。
そうしてとる行動が、自分の考えと違うものに対しての攻撃です。
なぜ攻撃するのか、自己防衛のためだと思います。
自分の考えを否定する道のりは非常に厄介でエネルギーを消費します。
もちろん悩んだりしますし…迷路に迷い込む可能性だってあります。
でも、そこから抜け出すために勉強したり…人と話して学んだり…
そうして発展していくんだろうと思っています。
…
「私は何も知らないという事を知っている。」
ソクラテスの「無知の知」で有名ですが、この言葉もすごく好きです。
「その事は、知らないんで教えてください」という事に抵抗はありません。
頭の良い人ほど「知らないことは知らない。」ってはっきり言うという事は、最近すごく感じる事です。
…
ここ数日、アイデンティティーや民族問題などのブログを書いていましたが、ある尊敬する方よりメールを頂いて、
学んだ事がたくさんありました。
「在日における民族性と儒教の関係性」についてです。
たとえば、先日のブログでは、在日1世の世代に「日本人との結婚を反対した理由」を、植民地支配の歴史の産物とだけ、とらえてありましたが、そこには名前…子孫の問題…など在日1世の儒教を抜きには語れない部分があります。
また、朝鮮学校の教育においても、儒教の問題を抜きにしては語れないと…改めて考えさせられました。
…
「否定すること」と「無知であることを知ること」これによって人は絶えず発展していけるんじゃないかな~と思う今日この頃です。
それは「哲学」です。
哲学についてさほど詳しいわけではありませんが、学生時代に学んだ哲学が今も残っているのは事実です。
哲学というと難しい学問に感じるかもしれませんが、
誰でも「座右の銘」をもっていると思います。
その「座右の銘」は偉人の名言だったり、身近な誰かの言葉だったりするわけで、僕にとってはそれとほぼ同じような感覚のものです。
※本来哲学は「物の見方考え方」であり、生き方自体がその人間の持つ哲学によって左右されるものですが、哲学というものに精通しているわけでもない自分にとっては、「座右の銘」に近いかもしれないという意。
僕の「座右の銘」は置いといて、その他にもいくつか常に意識しているものがあります。
その一つが「否定の否定の法則」です。
唯物論的弁証法の基本法則の一つですが、すごくわかりやすかったので18歳の時にはじめて聞いてなるほど!と思ってからいままで忘れずにいる法則の一つです。
もちろんご存じの方も多数いらっしゃると思うのですが、あえて簡単に説明すると。
Aを否定する事により非Aになり、非Aをさらに否定することでA´になる。
なにかを否定して、それをさらに否定することで発展していくという事です。
TOYOTA方式の「改善」を思い浮かべてください。
「改善」をするためには、直すべきところを否定しているからこそ「改善」されていくわけです。
もっと身近な話で言うとCMにありましたね「変らなきゃも変らなきゃ」
…
「自分の考えを否定する。」
お分かりだと思いますが、自分の考えを否定するという事は、ただ単に否定しているのではなく、その過程で発展できると思うからこそ否定できると思うんです。
否定の先が見えないのに否定してしまうと立ち直れませんから…(・・;)
でも…これは言葉で言うように簡単ではありません。
普通は、誰もが自分の考えは正しい!間違っていない!と思いたいものです。
それで安心するんですね。
でも別の言葉で言うと、それは凝り固まるという事。
そうしてとる行動が、自分の考えと違うものに対しての攻撃です。
なぜ攻撃するのか、自己防衛のためだと思います。
自分の考えを否定する道のりは非常に厄介でエネルギーを消費します。
もちろん悩んだりしますし…迷路に迷い込む可能性だってあります。
でも、そこから抜け出すために勉強したり…人と話して学んだり…
そうして発展していくんだろうと思っています。
…
「私は何も知らないという事を知っている。」
ソクラテスの「無知の知」で有名ですが、この言葉もすごく好きです。
「その事は、知らないんで教えてください」という事に抵抗はありません。
頭の良い人ほど「知らないことは知らない。」ってはっきり言うという事は、最近すごく感じる事です。
…
ここ数日、アイデンティティーや民族問題などのブログを書いていましたが、ある尊敬する方よりメールを頂いて、
学んだ事がたくさんありました。
「在日における民族性と儒教の関係性」についてです。
たとえば、先日のブログでは、在日1世の世代に「日本人との結婚を反対した理由」を、植民地支配の歴史の産物とだけ、とらえてありましたが、そこには名前…子孫の問題…など在日1世の儒教を抜きには語れない部分があります。
また、朝鮮学校の教育においても、儒教の問題を抜きにしては語れないと…改めて考えさせられました。
…
「否定すること」と「無知であることを知ること」これによって人は絶えず発展していけるんじゃないかな~と思う今日この頃です。