自分の心を世間から超えさせる
世の中の心が劣化する事に流されたり呑まれたりしないための
八つの法(八つは基本の中心で実際はもっと多い)」という
概念がありますが、
楽しみや目標を追いかけてを享受したりしているうちや苦悩や
困難の渦中にあるうちは気が付かないものですが、
人生経験を重ねた方や諦めから向きが修正された方などは何となく掴んでいく事もありますが、若年層ではなかなか気が付けず,気付こうともしないのが当然でしょう。
わかりやすく言えば
①物やお金など何かを得て喜ぶ
②何かを失って悲しむ
③苦しみを怖がったり嫌がる
④喜楽を求める
⑤名誉を喜び徳と思う
⑥不名誉なことを嫌がる
⑦成功や称賛を喜ぶ
⑧非難を嫌がる
以上の八つですが、
これは、項目としては四つ、二つの面になるわけですが、
それらを知り超えなければ心や精神と向き合うことはできませんと言う教えですが、
世間に於いてあらゆる成功と失敗、メリットとデメリット、
これらの事象を常とせずに、そこに喜びを見出してはいけない。
一切心を動かされないようにしなさいと言うことですが、
これはなかなか出来なくても当然ともいえます。
しかしそそ様な事を自覚し考え、目標にするだけでも
心の悪い癖なども大きく修正されていきます。
本当に自分を変えたい、病気を治したい、様々な事に於いて
成功したいと思って日々努力されているのなら、
悪いカルマなどを重ね、付随する治療や成功や目標の本当の達成を得るために
皆さんもこの八つの法に心を奪われないように、
心がけてみてください。
それによってこの世俗の苦楽を超えた、真の安らぎに近づいていくでしょう。
自分の欲求のために罪を犯し、
我が子や生き物の命まで平気で奪う。
自分が死ぬことが出来ずに苛立っていたからと人の命まで
奪う理不尽な傷ましい
事件も相次いでいますが、
一時的な感情や勢い、
今生だけの関係に惑わされて、愛着や情によって
誰かの為であってもその罪の報いを受けるのは
あくまでも自分自身だということです。
そうしてその報いは刑罰としても受けますが、
今生のうちに報いを受けなかったとしても、
カルマの法則が存在する以上、必ずその報いは
受けることになります
カルマの法則は宗教論ではなく、宇宙そのものにある法則で、
歪やゆがみを戻そうとする働きの一つで、
生まれながらに心の本質を覆い自我と認識して
固着している歪み、それ以外も多数ありますが
ここでは省略します。
それを戻そうと言う法則は母体に宿ったときから始まっており
それを元に人はまた繰り返し重ねていくわけですが、
自我は真逆の働きをし戻されないように動きますが、
その事象を見て結果論として自業自得と言う
理屈を持っての教訓ということでなければ認識できないために
方便として説かれ、今日に至るまでそのように広まってきました。
これを認識するには霊性の目覚めから励む必要がありますが、
霊性は別な言い方をすれば(聖賢などの)叡智とも言いますので、
心霊や霊的というものとは無関係で別物です。
上記を読みなんとなくでも理解できたなら、霊性が目覚めかけていたり目覚めているかもしれません。
そうして死のときにそれを受けるというのは、
今生でまた重ねてしまったものが心に固着される瞬間で、
どんな神仏でも死の状態のカルマとしての固着は
例外なく解消で出来ません。
善と悪のカルマの結果によって、次が決まってしまう
ということになりますが、
だからこそ物心がついた子供の時から道を示すのが親であり
教師であると言うことになりますが、
それは宗教を教えることでは無く、
人として本当の意味での道徳と言う意味で教え導いたり、時や事を観て示すと言うことですね。
それが本当に慎重に、善をなし、悪をなさず、
正しく生きなければならないということなのですが、
当たり障りなく普通にまっとうに生きても善にはならない
と言うことですね。