人がが生きていて、何を重要に考えて、
何を自分の心のよりどころとするか?
お金や異性や家族や趣味や資格、いずれにしても
口でいかに仕事や思想や哲学、
宗教や神や仏と言っていようが、
人の心というのは、常にお金ならお金、異性なら異性、
物なら物に結び付けられています。
あるいは寂しさなどなら愛情などが心を占めており、
どのような状態であろうとも経験や記憶で作られた思考を合わせたものとは別の心の本質があるわけですが、
カウンセリングなどでどうにかなるものではありません。
心の本質、ここから意識を外さないようにしなければエゴや欲求に呑まれ流されていくわけですが、注意してどうにかなるものでもありません。
あるいは宗教などで言う神仏などに帰依し信仰しましょうとよく言われますが、肝心の宗教家自体が物やお金、名声や超能力や霊能力に固執し一般世間と何も変わりありません。
なので素直に想っている信者さんたちはそこに入り込まれ利用されてしまうわけです。
例え本当の教えや神仏であったとしても外にあるわけではなく、
内にある心の本質と変わらないので、どのような言い訳も
ごまかしも一切通じません。
人がどれだけ何に心を向けて生きていたかによって、
その人が死後引っ張り込まれる世界が違ってしまう。
どのような死に方をしても幽霊になることも無く、一般的に言う霊も、亡き者ではないと言うことを正しく見て知る霊能師は
今までも、これから先も出ることは有りません。
それが何かということが気になる方もいるでしょうが、
当然利用する方も出ますので言及しませんが、
shopなどで書いていることでさえ既に業者などが盗用し
グッズ販売をしていますので、幸運グッズやパワーストーンやチャクラ産業や気功産業お祓いや呪い産業に乗せられないようにしなければいけませんね。
占いも同様で、死期、恋愛、盗人に関してはいかなる理由があろうと決して見てはいけないと言う決まりがあります。
それに反して行っているものは真似事で始めても深いカルマを重ねると古代から分野関係なしに決められています。
もしも占い等をされる方は無償、または最少の金額にて行ない
ただそのものの悪い所や困ったところを当てるのではなく、
ただそれの改善の咆哮のみを伝えるのみが世界共通の約束になっていますが、産業化に便乗されている方は聞く耳は持てませんね。
生業ではなく善行としてのみ行うことが許され、
覚悟のないものが霊や神や精霊などと口にして行えば後に取り返しのつかない罪になるとされています。
以前ある行者がいましたが、その方は人は、
中国のある占い(世間で知られてるものではない)を使って
人々に対し観てあげていました。
あなたの問題の場合は、こちらの方角に行き仕事をしなさい。
このようにすると良くなりますよ。と
決して原因を指摘したり何かのせいだとは言いませんでした。
当然ですね。
霊や方角、居住地が悪いわけではなく、自らが心に集積してきたカルマや癖がそれを選んでいるわけです。
目に見えない存在はありますが、霊や悪魔や鬼ではありません。
それを説く仏も神も聖人もいません。
後に都合で解釈しねじ込んだ聖典などはどこにでも山ほどありますが、諸国でメジャーな宗教でさえ元はカルト教団として作られ、箔付のために古代の神話まで盗用し今では正当な神の宗教になっています。
いずれにしても記憶や経験にて作られた心のよりどころによってどのようにでも変わっていくのですが、
先ほどの行者自身は何をやっても悪い事ばかり起っていました。
周りの人は
「あなたは他人のどのような運命をも操れて、
他の人には良い結果を出しているのに、
なぜ自分に対してはなんで悪いことばっか起きるんだ」と
行者は
「いや、私はいつも最悪の結果を実践してきたんです」
占って、最悪が起きるような方角に行き
それによって自分の悪しきカルマを落とそうとしていました。
ここが心の本質に向かうものと、一般の記憶や経験を旨とするものの決定的な違いになるわけですが、
こうやったからこうなった、こうすればこうなると言う
因→縁→果→報 という自業自得ではなく、
例えどれを選択し行っていっても、しかるべき果報に向かっていることを知らずに
カルマの法則は自業自得と言うものが多いわけです。
因があって、その因をいかになくすかなんです。
結果的に一時的な幸せを得ようという考えでは何も変わらない世界と言うことになるわけです。
何をどれだけ幸運を得て積み上げて来ても、亡くなって持っていくものはただ心の依存し積み上げたカルマと癖と言うことになるわけです。
本当に占い等を極めたなら、そのことにたどり着きます。
そうしてたどり着いたものは例外なく二度と見なくなっています。
何故か?
変える方法を知らないから、学ぶことが出来なかったからです。
そこで、この因を浄化して行かなければいけない重要性
占いであろうが、占星術であろうが、その発想は
悪運を幸運にするための原因究明や転換の術はということで、
東洋系占星術でも西洋占星術でも、
もともとは、カルマの法則という理論があり、
輪廻転生っていう理論があって生まれたものですが、
すべては繰り返される転生での集積と言う考えを元に
因のないものはない。と
あるいは理由のないものはないという考え方があり。
風が吹いて来て頬に触れた、歩いていたら小さな石をつま先で知らずに蹴っていた、虫や鳥の声が聞こえたなどでも因がある。
あるいはそれは、人の事を悪く言えば言われるなどわかりやすいでしょうが、悪く行ったのだから仕方がない、
ならば言われた時は耐えて浄化しましょうになるでしょうが、
そう簡単ではありません。
それだけで動いたと言うものは少ないでしょう。
幾つもの因が重なっていることが多く、
根に持たれたり何年何十年経っても消えないことも多く、
今では簡単に人を殴ったり刺したりしてしまうと言うことは、
どれほど深く複合されていたのかということにもなるでしょう。
逆に今世では何もせずに真面目に堅実であっても
強行に及ばれる事も多くなっています。
この生ではなく過去世の因によって起きてることもあるわけです。
それを逆に読み取るのが占星術なんです。それを占星術ですが、
大半が原因は先祖や霊や土地や云々と言い、
未来はこうなりますよ等、
CIAがスクールを作り意図して霊能などを教育で作り上げましたが、もちろん霊能力でも神仏も無関係で、
人の癖や心理、誘導で聞きだして、過去や未来を言い当てると言うもの。
霊能系や占い系の共通は、物怖じせずに堂々とし、
言い放つ言葉の言い回しに威厳を以て、けれども心底心配し思っていますよと言う柔和観。
これだけで誰でもなれてしまうことを証明し、今もそのスクールは存在しています。
カルマは今の出来事やこれからを見ても意味がありません。
事に注意しようが何の変わりもありません。
根源的な法則性を読み取るのが占星術というわけです。
一般的な占いをするならば、
お皿がいつもよりきれいに洗えた、卵がきれいに割れたなどのほうがはるかに自分にとって有益です。
心の状態がそのまま反映されますね。
ざわめいていれば失敗したり雑になり、平らならば落ち着いて丁寧にできます。
ざわめいていれば何をやっても良い結果にはつながりませんし、
人の好意も無碍にしかねませんね。
あたるも当たらないも八卦なら、自分の心の状態の方が的確なわけです。
風水とか占いなどで、運命をよくするためにこういうのを持ちましょなどは全く無意味で、風水とはそう言う物ではありません。
産業化の結果生みだされたもので振り回されても、どんなに都合よく思っても行き着くところは変わりません。
大なり小なりの働きの効果はあるのだけれども、
はっきり言ってそれをやっても仕方がない。
なぜか?
それは条件を変えてるだけであって。
原因があって、条件があって、結果がある。
グッズアイテムによって条件を変えることによって
どの原因があらわれるかが違ってくるだけなんです。
例えば自分の中に苦の原因が8ぐらいあり
幸運の原因が三個くらいあるとします。
苦の原因が8あるから、苦の原因のほうが多く
当然あらわれやすくなっています。
因があらわれるには必ず条件が必要となります。
過去に誰かを馬鹿にしたとします。
そのために、自分が馬鹿にされることになる。
馬鹿にされるためには、馬鹿にしてくる者との出会いが必要になります。
これは一つの条件です。。
通勤途中やお店、お客さん、職場などで、
馬鹿にしてくるような人と出会う。
仕事上のミスやトラブルなど(ここでもいくつかの条件がある)
その者が上司や取引先や客などとなり、様々な縁で
条件設定が完了します。
釈迦が説いたのは縁によって起こると言う縁起の法ですね。
なのでいくら原因がこれですよ、こうしなさいああしなさいと言っても無駄で、
因あるがゆえに縁を集めてしまうわけです。
これで日々苦悩が繰り返され、また条件が設定されていきます。
最悪、暴行や自殺、殺害などになるかも知れません。
そのような因果いくつもあるわけで、
風水その他で効果があっても、条件がずれるだけなので
他のが開始されるだけということになります。
馬鹿にされまくる。
これによってこの「馬鹿にされる」という因が解消され薄くなり
消滅していくという結果になるのですが、
どれほど耐えなければいけないのか?
これは深さによって違います。
数回か数日か、数年や数十年、とても耐えるのは大変です。
この覚悟も術もなければ、耐えるどころか次の条件を満たし
最悪な方に行ってしまいかねません。
風水や占い、お祓いや開運法などを
それらを活用したとします。
大なり小なり効果ありますし、そのために作られても来ました。
それによって微妙な条件の流れが変わります。
それによってその馬鹿にするものが
いなくなる可能性があるんです。
逆に好意的になるかも知れないわけです。
しかし馬鹿にされる因が無くなったわけではありません。
ただ条件が少し変わたということ。
先に書いた幸運の因が三つくらいしかないのに、
これが先に動き出るようになったということになり。
すぐに尽きてしまう。
残ったのは困苦の因しかなくなるので
何をしても効果も無くなるわけです。
開運グッズやお祓いやお守りなど、定期的に行っていれば
一生分使いきってしまうことになります。
だからそういう生き方は駄目ですよと釈迦は説いて歩いたわけです。
なのに仏教寺院は避けることやグッズ販売専門になっていますね。
現代では当たり前のようにお願いのためのお参り、
快適であることが当たり前の生活。
これでは解消されるカルマはほとんどありません。
それに比例するように犯罪の凶悪化や事件事故の増、
自殺は少なく発表されていますが、年間100万を超えているとも言われています。
自殺まで動いたとしても、そのカルマは3分の1も解消されずに持越し、今以上に大変になるでしょう。
困苦を歓迎し幸福は苦難に耐えられないものや他の生き物たちへ上げてください。
困苦に耐えて超えられるようにお守りくださいと願い参るのが本来ということでしょう。
そのような法則や深い修行の考え方を知らない人が、
教えを説いたり宗教家などになったり、占師になったり
ただ耐えればいいのかという安易なあまり利益のない考えに到らぬよう注意しなければいけませんね。
機会があれば更に深い部分や個別に対応できる方法なども書いていきたいと思います。