目的を失う
Change Talk,Change Life
"生き方を変えない限り喋りは変わらない"
喋りは「生き方」が9割
「話がちゃんと”伝わる人”と
話をちゃんと”聴ける人”を増やす」
「大事なのは、伝え方ではなく伝わり方」
伝え方や話し方だけにフォーカスした
自己満足、利己的思考はすぐ捨てろ
大事なことは「どう伝えるか」ではなく
相手に「どう伝わったか」を考えることだ
こんにちは!
僕のブログに来ていただき
本当にありがとうございます!
目標を見失った
「それは悪いことじゃない
むしろそんな時があるのが自然
目的があるのが善
目的がないのが悪
そんなもん、誰が決めた?」
先週ラジオでお伝えしました
リスナーさんからのメッセージ
「学ぶ目的を見失った」
過去の五月病を告白してくださった
大学生の頃に「目的を失った」と
アシスタントのこばちの話を聞いて
その当時のことを思い出したという
着眼大局着手小局
ちょうどこの話をしてくれていた
「大きな目標を見据えながら
今できることをしていこう」
ちょうど僕の友人も聴いていて
「目的が無くてもいい」
この言葉に救われた気がする
そんなLINEを送ってきてくれた
「揺蕩(たゆた)う」
以前の僕もこういう生き方を選んだ
時には時流に身をまかせて流される
あえて漕ぐことをやめて流されてみる
体力温存のためにも必要な手段です
無我夢中で漕いで前に進むのもいい
けれど漕がずに流れに揺蕩うことで
見えていなかったものが目に入る
むしろそういう発見の方が大事です
そういうものこそが転機になる
何かのきっかけになることもある
なのですがどっちが良いとか悪いとか
その決めつけ自体が無意味だと思います
前に進むことだけが人生か?
目的を持って目標に向かう
アグレッシブなだけが人生か?
それはあまりにも短絡的じゃないか
目的もなくフラフラする
本来の道から逸れてしまう
これを「無駄」と断じる
それはもったいないではないか
実際我々が送っている生活の中で
一秒たりとも無駄がない時間
そんなものは有り得ないとも思う
それは「余白」だと僕は思います
なんでもかんでも型にはめて
「こうでなきゃダメだ」
そんなものに縛られて生きる
文字通り窮屈な人生ではないか
だからこその「余白」が必要
それがつまりは「メリハリ」です
あるいは「緩急」というものです
そういう意味でも余白は大切ですよ
むしろ目的を失ったのなら
その状態をめいっぱい堪能する
罪悪感を持ちながら過ごすのではなく
「無目的」の時を堪能しまくればいい
心の底からフラフラを楽しみまくる
その状態に一欠片も引け目を感じない
むしろ「無目的ですが何か?」ぐらい
そもそも「悪」ではないのですからね
先週末の仕事でもそんな話をした
大学生に向けてのオンライン講義
「不完全」であることこそ幸せなこと
そんなメッセージを若者に送りました
とにかく言いたいことは
目的を失ったとしても
自分が不完全だとしても
それが一体どうしたというのだ
周りが決めた価値観とかに
縛られず振り回されず拘らず
その状態の価値は自分が決めりゃいい
実際誰にも決められるものじゃないだろ
揺蕩おうぜ
今日も読んでくれてありがとう
ほいじゃまた明日ね!

