帰郷 | 東京湾岸の外猫さんと寄り添って

東京湾岸の外猫さんと寄り添って

あの大震災・原発事故以来、命の存在に敏感になって

そんな私のそばに、健気に生きている外猫さんがいました。

猫さんたちの幸せは、私たちの幸せにつながります。

猫さんたちに優しい社会は、人にも優しい社会。

日々の外猫さんたちとのふれあいを綴ります。

皆様おはようございます。m(_ _)m

入院中だった父が、長引いた腰の痛みの原因が、末期の肝硬変だとわかって、予断を許さない状態でしたが、月曜日の朝急逝して帰郷しました。

高校野球の決勝の後の恩師の大会講評をラジオで聴きながら、まさかこうやって帰路の電車に乗っているなんてと思いながらの帰郷でした。

昨年、9月30日に病状が安定したと安心して帰京した翌日、両親の結婚記念日に長い闘病の後に母が天に召されて、まだ一周忌も迎えない時に、後を追うように父も亡くなってしまいました。

かつては同行しなかった皇居や靖国神社へもいつか一緒にとの思いも、この世で果たすことが出来なくなった未熟者です。



羽田から福岡に飛行機で飛んで、そこらか新幹線と在来線を乗り継いでお通夜の会場に着いて、喪主として葬儀と火葬を何とか全うして、帰宅後も親戚や御近所の挨拶回りなどして、座敷でいつの間にか雑魚寝している私の足元で

かつて、会社近くの東京湾岸の野球場の芝生で雑魚寝して迎えた朝のように猫さんたちに起こされた未熟者




猫好きだった父を慕うように遺影に寄り添う子猫もふえた実家の朝




かつて旧宅から田んぼひとつ上に新宅を建てた時に、父が家猫が妊娠した際

「一度は子供ば産ませてやらんばかわいそかけんね。」

その一言で、ピカピカの新居は猫さん屋敷となり、それぞれ長生きしてくれました。

昨年の母の逝去の時も、家族は猫さんたちに癒されながら悲しみをこらえることが出来たように思われます。