あなたはもし、恋人がいるのに1億円払うから2人きりで一晩過ごしたいと異性に言われたらどうしますか……?

 ロバート・レッドフォード、デミ・ムーア、ウディ・ハレルソンが競演した映画『幸福の条件』(1993)はまさにこの問いかけがテーマになっている。

 ストーリーは、お金に苦しむ夫婦の間に大富豪がある話を持ちかけることで始まる。その話とは、一晩彼女を貸してくれれば100万ドル払うというものだ。悩んだ末に夫婦はこの夜のことはお互いに忘れると決めて、この申し出を受け入れる。しかし彼女が彼の元に帰ってきた後も、彼女と大富豪が密会しているのではと彼は疑い始め、2人の愛に亀裂が生じていく……。

 思わぬ出来事から愛の試練にさらされることになった一組の夫婦。一体2人の心の中では何が起きたのか。

 ある人は、「往々にして考えて判断したことと、行動は一致しないことが多い」と言う。この映画で、男性が後になって“女性は最初から大富豪に対してその気があったのでは? もしかしてその後も密会しているのでは?”と疑惑を持ち始めたのは、考えて判断する段階では自分の本心が明確ではなく、彼女が大富豪と一晩を過ごすという行動が示された後に自分の本心がはっきりと分かったことが原因になっている。

 大富豪からの提案を受け入れる段階では、彼はこの提案に対し自分がどう感じているのか、彼女はどう思っているのか、不確かなままだったが、将来のことやお金のことを考え、合理的に判断を下していた。

 ところが彼女が実際に大富豪と一晩過ごすという行動、事実を突きつけられたことで、“この提案を受けることは自分はいやだった。しかし彼女は受け入れた。つまり最初から彼女にはその気があったに違いない”と気持ちを後から推し量ってしまったのだ。

関係は作っていくものと考える女性と愛情が全てと考える男性

 では、一度わき起こった疑惑を払拭し、関係を持ち直すことはできるのだろうか。この映画では、彼女は彼が抱く疑惑を晴らし関係を修復しようとする。しかし、彼は彼女が疑いを晴らそうとして大富豪と接触したことに怒りを覚え、家を出て行ってしまう。

「女性は関係が壊れたとしても、時間をかければ修復できると考えるのに対し、男性は前の関係には戻れない、もう一度新たに作り上げあていくしか方法はないと考える生き物です」(渋谷先生)。

 女性は関係は積み木のように作りあげていくもので、途中で壊れてもまたそこから積み上げて行けば良いと思うのに対し、男性は関係はパズルのようで、全てがそろってこそ完成で、ピースを無くしてしまったり、ピースが変形してしまうと仕上げることができないと思うのだ。

過去の不信感を引きずる男性

 また、一度不信感を抱くと、どこまでも疑ってしまうのも男性の特徴だと言う。女性はたとえ不信感を抱いたとしても、それが払拭された場合はそこから前向きに関係を続けていくことができるが、男性はどこかで疑惑を抱き続けてしまうと言うのだ。

 これは、女性は男性の「二度としない」という言葉を信じて浮気を許してしまう場合が多いが、男性はどこかで女性の言葉を信じることができず絶対に許せなく別れてしまうケースが多いことにも通じるとのこと。

 男女の関係性に対する考え方の違いが招いた悲劇とも言えるこの映画だが、最後は彼女が彼のもとに走り寄る場面で終わる。その後、彼女は全力で修復を試みたことだろうが、彼は一度抱いた不信感を深い愛情で乗り越えることができたのだろうか。二人の間に生じた亀裂を埋めようとするとき、男性女性それぞれの乗り越えるべき壁は全く違うもののようだ。
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どうも、ねぎです。
自分をコントロールするのはやはり難しいものです。
それにやる気の基準なんて十人十色という言葉があるように人それぞれなんです。
音楽聞きたい人はそうすればいいし、踊りってやる気が出るならそうすればいい。
私もやる気なんてさらさらありませんよ
でも、人間やらなきゃいけない時がくるんです。
それでも、どうしてもやる気が出ない。

さて、どうすればいいのか。
やらなきゃ良いんです。
そうです、無理にやらなくても良いんです。
それも経験なんです。

人間という生き物は失敗しないと分からないもんです。
失敗しても良いんです、そして学んでください。
絶対にしてはいけないことは同じ失敗をする事。

それだけです。
飽くまでも持論なので、悪しからず。



All About 「ストレス」“やる気”を引き出すための手法
All About 「フリーランスになる」やる気が出ない…。脳が疲れているのでは?
「それ」は見えずともそこにいて、生きる者全てに存在し恰も最初からそこにいたかの様で、実は何処にもいない。


今日も地下鉄の湿った空気に浸り、電波の無い電車の中で必死に電波を探す。

でも地下鉄は好きだ。
寡黙で盲目なこの空間。
時偶通り抜ける風。
定期的に来る電車。
快音を鳴らすエアブレーキ。
ドアの開く音。
米発音の下手な駅アナウンス。
出発を告げる音楽。
荒々しい発進。
慌ただしい一日。
そうした中での僕の時間。

難しい事はよくわからない。
将来の事も分からない
今できることは何だろうか。
たばこを吸いたい。
本を読みたい。
料理作るのもいい。
散歩に行くのも。
親孝行するのも。
目を瞑って時間を感じるの。
たまには真面な話しをするのも良い。
毎日少しずつ変わっていく日常の中、僕も少しは成長したのだろうか。


「それ」とは何か。
僕には解らない。

もしかしたら闇なのかもしれないし
もしかしたら愛なのかもしれない。

どっちでも良いし、どっちも良い。

君は君で僕は僕だ。
この人生に悔いはない。

年明けました。
おめでたいです。

僕は今日も別になんら変わり無く呼吸をし、無神経に賑わっている人々を見るのも、この殺風景な東京を見渡すのも、どれもまた新鮮な光景である。
誰かに別れを告げたかのように寂しいほどに澄み切った朝。
さっき買ったばかりのまだ暖かいコーヒーを片手に、氷のように硬く冷え切ったドアに寄りかかり微かに伝わる向こう側の温もり感じる。

待つのも悪くないな。
なんて考えいるのも、今では何処に行ってしまった懐かしい感情。
胸の奥に潜む真っ黒いまだかまりが、何時の間にか消えていたのに気付いたのかも知れない。
時たま思う。幸せとは何かと。
人は言う。幸せは掴むものだと。
僕は言う。この平然とした日常こそ、幸せなのだと。

そんなくだらない事を考えながら重たい瞼を必死に元気づける。
冬も本番。
ほんの10分もしないうちに冷たくなったコーヒーを一口すすり、温もりが残ったドアの開く音を片耳に、そう思った。
今夜の星は点々としてる、それでも涙で湿った僕の瞳には、燦々と煌めく無数の星達に見えた。

この涙を拭ってしまえば、この星空がどこかへ消えてしまう気がして、僕は人目を憚らずただひたすらに泣き続けた。
これで良かったんだと言い聞かせ、尚も増す涙のせいで前すら見えなくなっていった。
きっと通行人は見るに堪えない光景だっただろう。
だからどうした。
この汚い顔をみろ。
この忌々しい顔をみろ。
どれも僕だ。
泣けども泣けども涙腺からは涙があふれる。

残念な事に、今も僕は生きている。
笑いたければ笑え。
緩んだ涙腺の締め方を忘れてしまった僕は、この話の締め方すらわからない。
だがこれで良いのだ。これが僕だ。