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S.isao 追記あり×2

追記ありビックリマーク×2


今日は、俺の事を書いてみる。


俺は、2回本気で音楽をやめようと思った時がある。

20歳前くらいの時と、23くらいの時。

最初の時は、ZEEBRAと2人でグループやってる時。

学校をやめた理由は、「音楽がやりたい」だったけど

実際は、「生き方」になっていなく、「凄く好きな趣味」だったんだろう。

まだ、自分も子供で、考え方もしっかりしてなかった。

その当時は、「RAP」って音楽を知ってる日本人って

一般では、ほとんどいない時代だったから、そこに人生をかけれなかったし

そうする自信も自分になかったんだろう。

ヒデに迷惑がかかるとわかってたけど

自分がやりたい事を、ひたすらやってしまった。

この頃は、お互いに若いし、考えも不安定だから

ヒデも生活が大変だったりして、仕事をしたりしてたな。

だから、この時の「音楽をやめる」と

この後書く「音楽をやめる」は、事の大きさが違う。


次は、ギドラの「空からの力」の頃。

単純に自分でお金を稼がないと生活出来ない状況で

週5とか6でバイト入れて稼ぎまくってた。

金がいいのって思ってガードマンもやったし

スーツ着てサラリーマンやった事もある。

「空ちか」のギャラとかも微々たるもんだったし

まだまだ、音楽でお金を稼ぐって事が想像もつかなかった。

スタジオは、俺が必要な時に行って後は、2人におまかせ。

めちゃめちゃ音楽やりたかったけど、現実的な生活を考えて

無理やり「音楽がやりたい」って気持ちを押し殺していたら

いつの間にか、本当にその気持ちが死んでしまった様な気がした。

普通の生活をしようって決めたのも本気。

今でも、その時の自分の行動に後悔は、してない。

でも、その時音楽に使える時間を、音楽に使えなかったのは

すごい残念だし、きちょうな時間だったのになって思う。

あとは、色々な人に迷惑をかけてしまった。


「空ちか」も出て俺も普通の生活に戻った頃

忘れもしない、東京ウォーカー読んでたんだ。

そしたら、音楽ページにギドラが写真付きで軽く紹介されててさ

俺、それ見た瞬間に「俺もここに居れたのか」とか「やめなきゃ良かった」

って思いがあふれ出て来たんだよね。

でも、俺も普通の生活するって決めたし、もうしてたから

その記事は、あまり見ない様にして、仲間がスポット浴びてる事を

純粋に嬉しく誇りに思える様に考えたんだ。

ただ、一つわかったのは、俺の「音楽がやりたい」って気持ちは

まだ、死んでなかったんだよね。

ここらへんまでの事は、「途中経過」の2バース目までで言ってるね。

日に日に、我慢すればするほど音楽やりたいって気持ちが強くなって来て

バイトしながらも、ポケットに小さなノートを忍ばせてリリ書いたりした。

そういう辛い時って、詩も濃ゆくなったりするのか。

その時書いたのが、「地獄絵図」なんだよね。

ある意味、俺の書いた詩で一番濃ゆいかもだからね。

かなりハードなガードマンだな。

振ってる棒もすぐ凶器になるぜw


それから、少し時間が経った時にKDUBから電話があって

ソロアルバム作るからビート作ってって話だった。

コッタ君は、俺と話す度に「オアは、音楽やめたらもったいないから」

ってずっと言ってたんだよね。

正直、その頃は、そんな事言われると悩んじゃうし

どんどん悩んじゃうからやめてって思ってたよ。

今更「音楽やります」ってコッタ君とヒデに言っていいのか?ってね。

ヒデは、俺の気持ちも理解してくれてたと思うし

良い意味で自分が大事だっただろうから、俺には、何も言って来なかった。

でも、コッタ君は、俺に電話し続けた。

すげー悩んだけど、そんなに「俺の音」ってこだわってくれるなら

また、ビートを作ってみようって思ったんだ。

その時作ったビートが、「長すぎる冬眠」。

俺的には、自分が長い冬眠から覚めた気がしたよ。

そして、「現在時刻」で何曲かビートを作った。

あのアルバムは、ビートメイカーの俺にとって復活ののろしだった。

その後、「生きる」「東京砂漠」と続く訳なんだけど

その頃やっとバイトをやめて、音楽だけで生活していこうって思った。

KDUBが「運命」で軽く言ってるよね。


俺は、いま「HIPHOP」の世界で生きている。

音楽を仕事にして喰って行ってる。

ZEEBRAが何も言わなかったとかは、関係ない。

そんなの俺が悪いだけだし、俺がそう望んだから。

でも俺は、KDUBに救われた。

KDUBは、ミュージシャンの俺にとって命の恩人だ。

死にかけてた俺に、アトミックボムは、復活の場所を与えてくれた。

俺を戻してくれなかったら、「東京砂漠」も「最終兵器」もなかったかもしれない。

その恩は、一生忘れない。

お互いの考えや、方向性が一致している限り

俺は、一生アトミックボムだ。


皆も、自分の考えや夢を大事にして、仲間を作ってくれ。

そして、その仲間を大事にしてくれ。

同じ物を同じ価値観で見れる人間が集まって仲間になれば

その力は、何倍にもなるし、力が強い場所には

ちゃんと、チャンスがまわってくる。
俺は、チャンスって、いっぱいある物だと思うんだ。

それを見極めて、どのチャンスをつかむかは、自分達の力。


peace


追記

セルアウトw

まじうけるw

↑ライトオールのコメに対してだからねw!



あと、最近たまに出てくるからさ

童子の事で俺的に思ってる事を書いとくよ。

ちなみに、新しい曲は、まだ聴いてない。

童子がボムを離れたのは、↑で俺も言った

「お互いの考えや、方向性」ってのが変ってしまったから。

自分のクルーがある場合は、クルーの色ってあるよね?

でも、童子がやりたい色が、ボム色と異なって来ちゃったんだ。

正直、俺的には、童子にやめてほしくなかった。

やっぱり仲間だったし、童子もボムに生き返らせてもらった男だと思うんだ。

それは、自分でも流派かなんかで言ってた。

童子の仲間の中にも、やめない方がいいって言ってるヤツもいた。

でも、しょうがない、人のやりたい事を俺がやめさせる権利もない。

だからボムの皆集まって、童子と話し合いをした結果、やめる事になった。

ボムをやめた今、ボムと同じ様な音を童子が作ってたらどう思う?

だったらやめなきゃ良かったってなるでしょ?

今、童子がやってる音楽は、ボムをやめてもやりたい音楽だったんだ。

それが好きか、嫌いかは、人それぞれ。

「第三の男 童子-T」を好きになった人達は、残念だなって思うだろう。

聞いた話だけど、「童子-Tが好き」ってうい人に「どんな所が?」って聞いたら

「ポップな所が好き!!」って普通に言われたって人もいるし。

そういう層に受け入れられたいって思ったんだろうな。

もちろん俺は、ボムに居た時の童子の音の方が好き。

「第三の男」とか、「ハードな男のラップ」って感じで格好良かったよね。

童子は、元々俺の仲間だから、disる様な目で見てないし

今やってるスタイルに自信と誇りを持てるのであれば

どこまで行けるか俺達に見せてくれって思ってる。

やるなら中途半端じゃなく、やるとこまでやってくれって。

それで、童子なりの成功をつかめれば、ボムをやめたのが正しかった。

でも、自分でどういう音楽をやるか悩んだ結果こうなってるなら

それは、かなり危険な事だ。

まぁ、そんな事は、無いと信じてる。


追記

やれるとこまでやってくれって思うけど

やっぱ、popなラップで成功するのは、俺達の理想では、ない。

だから、童子なりの成功をつかんでも

それが、俺的に格好良く見えるかどうかは、別ね。

それに、もちろんボムが負けるなんて思ってないしね。

ただ、俺が童子に思う事は、↑に書いた通りなんだ。