実生活に夢を持ち込む | 佐原敏剛文学塾

佐原敏剛文学塾

日本文学、海外文学を多角的に分析、批評する。名作といえど問題点は容赦なく批判する。

 今日は久しぶりに小説の書き出しを書いた。ショートショートにするつもりである。今読んでいる蒼井上鷹さんのショートショートを真似て書いている。しかし、ストーリーは全く頭にない。とにかく書き出さないことには始まらないのである。果たしてショートショートでミステリーが書けるか。トリック案出が苦手なのでミステリーにはならないかも知れない。しかし本格的に書き始めたのは久しぶりだ。犬も歩けば棒に当たるという。小説家も書けばアイデアに当るかも知れない。もともと私は長編を書くのが苦手だった。そんな構想力が無かった。二十四歳の時書いたショートショートが初めて人目に触れる作品となった。そして三十四歳の時、ネット上で小説を書くチャンスが訪れた。あれから二十四年の歳月が流れ去った。二十四年という月日は何か暗示的だ。四十二歳にもなると私はスランプ状態になってそこから抜け出せなくなった。スランプは十六年続いている。この辺でスランプから脱出したい。

 私は小説以外にものを知らない。政治の世界も哲学の世界も科学も歴史も知らない。しかしそれはこれから勉強しても遅くはない。今日は夜更かしをすることに決めた。久しぶりに缶ビールを飲んだ後、小説を書いた。書けなかった時期、私はエロ小説のようなものばかり書いていた。それしか書くものが無くなってしまったのである。セックスが頭の中を支配し、他のことは関心が持てなくなっていた。が、それは間違いだった。小説の根底にセックスが潜んでいることは否めない事実かも知れないが、アガサ・クリスティーやエラリイ・クイーンの小説にはセックスは出てこない。それにしてはアメリカ、イギリスはセックスが解放されていてハードコア・ポルノが存在するが、それはそれ、これはこれである。

 もう十一時半に近い。私は働いていないから時間は自由に使えるが、働きながら書いた方が執筆は捗る。障害者枠で働くか現場のアルバイトで稼ぐかして生活のリズムを作り、書きに書く。明日は午前中から昼にかけて雨が降るという。昼はスパゲティーにする。夕食はレトルトカレーだ。スランプになった理由の一つに私自身が夢から醒めてしまったということがある。諦めずにもう一度夢を見る。江戸川乱歩が晩年は後進の育成に力を注いだのも夢から醒めてしまったからに違いない。夢が見られないなら夢そのものを実生活に持ち込んでみることだ。プラスチックモデルを組み立てるとか鉄道模型に凝るとか。そもそもプラモデルも鉄道模型も小説と同時進行でやっていた。或いはロックのCDを聴く。映画をアマゾンプライムで観る。

 小説が解らない人を相手にしても仕方がない。小説のファンはある一定数存在する。そのファンも大人になると小説から離れていく人が多い。去る者は追わず、である。TVerで今、『366日』というドラマを観ている。広瀬アリスが主演で彼女は二十九歳だという。まだまだ夢の真っただ中であろう。私は今、若い小説の読者や作家、役者や映画監督に期待する。久しぶりにクイーンを読んでみるか。作家の島田雅彦さんに私は三回電話をかけて話をしたことがある。新宿の文壇バーでも隣り合わせで座って酒を飲んだ。夢を見る。年を取ると意識的に夢見なければならなくなる。しかし、夢見ることは不可能ではない。もう十二時に近い。今日はこの辺で。