作家と恋愛 | 佐原敏剛文学塾

佐原敏剛文学塾

日本文学、海外文学を多角的に分析、批評する。名作といえど問題点は容赦なく批判する。

 夏目漱石を読破した。二回目の読破である。今は太宰の『晩年』を読んでいる。新潮文庫版で手に入る太宰の作品は全て読むつもりである。勿論これまでにも何冊か太宰は読んだ。『晩年』は太宰の処女短篇集である。漱石の文章に慣れていたせいか、太宰は読みにくい。しかし太宰の作品には注解がない。それだけ読み易い筈である。

 夏目漱石は全部で17冊あった。太宰もそれ位はある。本当は漱石を読み終わったら纏め買いした思想書を読み始めようとしたのだが、ルソーの『社会契約論』を読み始めた途端、難解で投げ出してしまった。ブログに書くことも最近は無くなってきた。しかし、貴重な時間を何もしないで過ごしたくない。

 関係ないことだが最近パソコンの調子が悪い。一度起動したのに画面が真っ暗になり、スタートボタンを押すとまた起動する。このパソコンは主に小説を書くために買った。14万はしたと思う。生活保護の中から14万はかなりきつい。私は7年ほど前に統合失調症を発症したが、統合失調症は思考力が低下すると言われる。それでも書いている人がいるので勇気付けられるが、既に57歳であり、就職しようにも年齢で切られてしまうし、セックスへの情熱も若い時のようには激しくない。高校時代には好きな女の子の目を見ていると吸い込まれそうになったものだが、そう思えるのも30代までである。

 それでは何故、漱石は40近くなってから書き始めたのであるか。やっぱりセックスがその根底にあったのではないか。漱石の作品は大人の恋愛小説である。レイモンド・チャンドラーもまた45歳の時から中編を『ブラックマスク』誌に寄稿し始めている。晩年のチャンドラーは「私は女性がいないと生きていけない」と告白している。007シリーズのイアン・フレミングも40代になってから作品を書き始めた。

 実際に女性と付き合うとなると結婚した作家は水商売の女を相手にするかさもなければ不倫するかになってしまう。少子高齢化社会では老人の姿が巷に溢れ、そこには活気がない。かといって、今の若い人たちにそこまで期待出来るかというと、いじめ問題が無くならないこと一つ取ってみてもそれは難しいだろう。私は一人の大人として若者たちに模範を示さなければならない位置にいる。頑張り過ぎては病気を悪化させるので、あまり根を詰めてはいけないが、漱石は無理でも太宰に迫る位の作品を書きたいと思う。本棚に並んだ漱石の文庫本の背中が私を励ましてくれる。やるしかない。