石橋凌さんがSOUND SPLASH サテスタ生出演でした!
なんと20年前にお話をお聴きした私の事を覚えてくれてくださいました。

にわかに信じがたいし、お気遣い頂いたのかもしれないと思ったが、嬉しい事は素直に受け入れよう。
大感激!

1998年4月24日 田舎からアニキがここ新潟に来ていた。

新潟フェイズでのARBー REAL LIFE TOURーを観るために弟が住むこの街へ。

社会人になってから初めてアニキとプライベートで過ごした時間だった。

オレが高崎で暮らしていたGWのある日。バイクで4トン車とケンカしたアニキが全身13箇所の骨折に脳挫傷で小出病院に担ぎ込まれ生死を彷徨った。

自動車教習所の公衆電話から、明日帰ると実家の母へ伝えた。オレの声を聞いて母ちゃんが泣いた。

「アニキがダメかもしれない。」

すぐに乗ったこともない新幹線に飛び乗った。

意識のないアニキに家族が交代で付き添った。

アニキはいつまでもオレのあんちゃんでオレのあんちゃんがオレに音楽を教えてくれた。

オレはあんちゃんに憧れていたし、そのあんちゃんが

仲間同士で楽しそうに歌っていた Daddy’s Shoes。

友達に若くして子供が産まれたって喜んでた。

不良のクセにみんな仲良くてうらやましかった。

ARB。

2週間後...

雪国に訪れた新緑が眩しかった。

石橋凌。

オレたちすべての憧れだった。

その夜、アニキの仲間も合流して酒をのんだ。

忘れられない一夜になった。

Liveでは、1人新潟からハバロフスクへ飛びシベリア鉄道に乗って旅立った話を聞かせてくれた。

孤独に闇を切り拓く男の生き様を感じた。

その後29歳でオレも自分の生活に一回ピリオドを打った。

スポットライトは孤独を映し…

とてつもなく不安だったオレを奮い立たせた。

「魂こがして/ARB」

当時担当させてもらっていたサウンドスプラッシュのラストナンバーでこの曲をオンエアしてオレはアメリカに旅立った。

憧れ。

「今日番組に石橋凌さんが出るよ」Lineは今も未読のままだ。

兄ちゃん
4/5 新潟LOTS で憧れの人にまた会えます。