私は今こそ小林よしのり氏の考えに反論する。
氏が、日本人に独自の良いところや、あるいは自己犠牲の精神を見出すのは間違いであり、慰安婦問題に「負の倫理」で、思想的解決を図ろうとするのは大間違いである。
日本にはキリスト教の倫理がまったく入ってきていない。西洋人の倫理の核心である罪がまったくわからない。
西洋人は悪と善を明確にわける、あるいは罪にあたることと、罪でないことをわけるということもできる。
一方、私たちは、善と悪をごちゃ混ぜにして曖昧な解決を図る。
その結果が、解決において、弱い者の自己犠牲を押し付ける神風特攻隊や戦場慰安婦が世界から当然理解されず、日本人も世界の価値を理解できないでいる。
兵士の性欲を幼い少女を犠牲にして、性犯罪が減りましたなどというのは言語道断である。
戦争に犠牲が付き物でも、確実な死をやんわりと強制して、戦後になって美談として語るようでは、世界から私たちは異常者の誹りを免れない。
倫理とは、価値の明確化であり、善悪の区別であった。
致命的な悪に、ご都合主義の善を織り込み、「負の倫理」などという日本独自の嘘をでっち上げたのが、小林よしのり氏のかつての言説であり、それは今に至っても、左翼から批判されている根本的な理由である。
慰安婦にされた少女も特攻隊で自死を押し付けられた若者も、倫理の欠落である「負の倫理」というご都合主義により、人としての尊厳を踏み躙られ、戦後の日本人の慰みものになっているのだ。