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では続きを書くとしよう。私は昨日、精神障害の「精神」と一般的な、日常的な「精神」は同じかと問題提起した。これは実は同じなのだ。それも私個人の考えだけではなく、精神医学というインチキ学問が出した答えもどうやら精神医学の「精神」という語の理解は、私と同じ考えで、日常の「精神」と同じだという理解であるようだ。精神医学者は自分たちの患者を治せもしない詐欺学問を探究しながらも何とかここまでたどり着けたようだ。私を違法の治験に使った主治医の横川にも聞いて確認を取った。ちなみに反精神医学のウソの人権団体のOはこの点をわかっていなかった。反体制派って体制派以上に馬鹿なのはどこの業界も同じである。体制派以上の無責任体質。今回のテーマ。

 

私は最後の闘病生活で自分はおそらく何らかの発達障害であるとみなし(主治医は教えてくれなかった)、徹底して自分の精神を客観化し、厳しいトレーニングによる負荷をかけ、さらに自分の全ての欠点、劣性、過去の罪を自己否定した。つまり世の中で発達障害に対してやってはいけないとされていることを全てやったのである。

 

結果は完治。そして被験者が薬をやめた上で治ったので薬の認可が取り消されそうになると。私の人生の二つの栄光の片方だ。ちなみにもう一つは昔、薬の副作用(無オルガズム。何も性的な悦びが感じられなくなる障害)のため告白できないかった女性を八年ぶりに文章の力で(愛の言葉を使わないラブレター)でメロメロにしたことである。

 

ここで精神とは何かという問いについていくつか例を出したい。私は昔ピアノを習っていたのだが、ピアノを弾くにはどのような人間の諸能力が必要だろうか、

 

指の力、指を支え、強く打鍵する力。これは必要である。そのためにハノンのような指の筋肉を鍛えるために特化した練習曲もある。では指以外何を使うだろう。その前に早く目的の鍵盤を押す力、指を動かす力、指の俊敏性が必要だと言われる方がいらっしゃる。なかなか良い質問です。私も書きがいがある。

 

しかし私がここでそれは指の能力ではない。と言ったら戸惑うだろうか。そして何か大きく気づくのではないかな。どうだろう?

 

わかった?そうそれは脳の力。就中精神の力である。脳以外の人間の体の隅々に命令を送る力こそ精神そのものである。

 

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もう一つ具体例を出そう。それは大阪なおみ選手だ。アホのウヨクのバカ日本人男からなぜか嫌われているこの世界的なテニスプレイヤーの話をする。

 

大阪の肉体。この合理的に鍛えられたしなやかな力の芸術品を手に入れるまでにどれだけの己れとの格闘があったのだろう。いつか大阪自信の言葉で秘密が明かされる日が来ることを期待する。そしてその言葉の連なりは彼女の精神の証であり精神そのものだ。栄光を目指し孤独の内に不合理な情熱によって合理的なトレーニングを重ねる、他のくだらない人間には理解できない「精神」。

 

大阪なおみもスポーツだから肉体の訓練の比重はピアノとは全く違うけど、相当な部分身体への脳=精神の命令の訓練をしている。試合中の大阪の精神の働きは恐ろしいものだよ。アホの右翼(批判するのはウヨばっか!左翼は好意的)が批判しても頭すっからかんの筋肉姉ちゃんなんかではない!ものすごい偉人だ。精神の巨人だ! 

 

では今回はここら辺で。続きはすぐ。