村上龍について2

 

あれはどこでだったろう。思いあたる書店も古本屋も何軒かある。1995年、あの日本全体が混乱に陥っていた年、しかし自分にとっては驚きと喜びに満ちた人生の始まりの記念すべき年、私は学生寮があった東京近郊の田舎町で多くの素晴らしい本と出会った。小学生の頃から書名だけは知っていた「海底2万里」を書いた19世紀のフランス人、ジュール・ヴェルヌ。そして子供たちの冒険の世界に現れた女の子が、大人にならずとも少年たちよりどれほど早く大人びて老生すら身にまとってしまうかを身をもって私に教えたマルグリッド・デュラス。私の初めてのフランス文学者の二人の先輩。私に日本語を読む喜び、そして私たちの属する言語の素晴らしい可能性を教えた、当時から今に至るまで私の中のヒーロー、ヒロインたち、村上春樹、筒井康隆、山田詠美、そして中でも異様な魅力に満ちた日本文学の異端者であり、自己の文学体験の中でフランス文学の巨匠たちと結びついている村上龍である。

 

ランボー、ジュネ、セリーヌ、その他の多くのフランス文学の巨匠たち、彼らへの最高の紹介者は私にとっては澁澤龍彦でも堀口大學でもなく村上龍であった。こう言ってよければ彼の日本語(反日本語的ですらある)のエクリチュールと、日本的共同体から自由にならんとする、サドやニーチェにも見まがうかのような「人間解放」への村上の意志であった。

 

どこの書店にも村上の小説とエッセイ、対談集は売られていた。高校時代からネットも大して普及していない時代に少ない子供の小遣いで音楽CDを探していた自分の勘はすぐに働いた。なんとも魅惑的なタイトルの数々――「コインロッカーベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」「限りなく透明に近いブルー」「ピアッシング」。そして、思い出せ、初めて手に取った快楽主義、龍の小説。そう、村上のその後の人生だけでなく、我々生きることを宿命付けられた、快楽を志向する、苦しみから逃れる可能性をもつ動物、つまり全ての人間存在に解放への道を示した「69」であった。

 

私は18歳、初めて親元から離れ専門学校では誰も友達を作らずひたすら書物の持つ喜びに浸る日々が始まるのだ。

 

そして出発地点にはどのようなポピュラーミュージックもかなわない解放的で、そのくせ恐ろしいほど不屈の精神をもった村上龍が励ましているのだった。

 

(続く)