長良会長ありがとう!!さようなら。 | TOMOKOオフィシャルブログ Powered by Ameba


なんてかけばいいんだろう

朝から複雑な想いが絡んでいます。

心の整理をしたいから 文章にしたいんだけど

胸が痛くてうまくかけないかもしれない

7:30am   携帯が鳴った 

私のお姉ちゃんからだったんだけど(上京してからずっと一緒に居たお姉ちゃん)

本当の姉ではなく、友達からお姉ちゃんになった。

久々過ぎてもう、3年位理由もわからづ、突然音信不通状態になってたから、

電話越しに泣いてるしどうしたのかな?とおもって聞いたら

「長良会長が亡くなっちゃったね。」

って。

え?????

二人が大好きだった長良会長が2日ハワイで亡くなった。


私とお姉ちゃんの20代の想い出の中に必ず出て来る人物


お世話になりました。心から人の暖かさを大都会で知ったのは長良会長が居たからです。

「人のいい所だけを見るんだ。」

いつも言ってました。

この業界で強く生きようって思いました。

あの笑顔がいまでも心に焼き付いて離れません。

今から想い出の写真を探そうと思います。

ありがとう。

本当にありがとう。

今日この日には大切な意味が有りました。

私は会長を一生尊敬しています。

安らかに眠って下さい。




● 1938年3月10日、東京・新橋生まれ。15歳から芸能マネジメントに関わり58年、当時最大手だった「木倉事務所」に入社。美空ひばりさん、江利チエミさんと共に「三人娘」と呼ばれて活躍していた雪村いづみの初代マネジャーを担当している。20代の若さながら、浜村美智子、弘田三枝子、山田真二さんら多くの著名歌手のマネジャーを次々に務め上げ、その敏腕ぶりで業界に名をはせた。ひばりさんとは「きょうだい」「姉さん」と呼び合った仲だった。
 また、67年には低迷していた水原弘さんを「君こそわが命」でカムバックさせたことでも有名。評伝「黒い花びら」(著・村松友視)によると、長良さんは「俺は奴の歌唱力を信じている」と数千万円あった借金返済の資金繰りを行い、勝新太郎さんともタッグを組んで、「第1回日本レコード大賞」受賞歌手の再生に成功。常に義理人情を大切にし、バイタリティーにあふれる人柄で、戦後芸能界の発展に尽力した。
 64年に「長良事務所」を、99年、旧廣済堂プロダクションから独立する形で「長良プロ」を設立。山川豊、田川寿美、水森かおりら多くの演歌歌手を育て上げ、俳優・梅宮辰夫、中村玉緒らも手がけた。特に氷川きよしは所属先が決まらない中、オーディションで出会ったその日に引き受けることを即決。ビートたけしが名付け親となり、2000年にデビューさせると「演歌界の貴公子」として人気を呼び、06年には日本レコード大賞を受賞した。昨年4月からは「AKB48」の岩佐美咲も同プロに所属。長良グループの絆は強く、毎年「新春演歌まつり」を開催しており、今年2月には横浜アリーナに1万7000人を集めている。
 多くの功績を残してきた“名伯楽”の突然の訃報に、関係者は衝撃を受けている。葬儀・告別式の日程は決まっていない。