今日はたくさん水分をとったので おなかが歩くたびにカコンカコン鳴って それが楽しくて救われた。

 

今日の私はつまらなくて そんな事でも楽しく思わないと泣きそうだった。

 

コロナ明けで 夜の街には人が増えてきた。

夫が居ない時の夜の外出が大好きだった私は お酒が飲めなくても顔が見たいお店の人が何人か居る。

今日 夫が居ないから外出する出産前の最後のチャンスかもしれない。

しかし 火曜日 大好きなお店 シエスタはお休み。

きゃ座のマヤコに今年に入って全く会えてないし 顔を見て妊娠報告したいな。

と 出かけたが きゃ座を覗きこむと席は満員御礼。

さくの間のさっくんにも会ってないな さくの間に行ってみよう。

すると なんと いつも火曜に休んだりしていないのに 今日は臨時休業。

 

泣きそう。

夜の街をふらつける出産前最後のチャンスだと思ったのに。

 

ヤケ酒ならぬヤケジンジャーエールでおなかをちゃぷちゃぷ鳴らしながら帰り さっさとシャワーを浴びて布団に入るものの眠れない。

 

会いたかったな。

話したかったな。

 

こないだ 義理の母が来て赤ちゃんが生まれたら食べ物は持って来てあげるって言っていた。せっかくのご厚意だけど 本人には言えないが正直むしろ嫌だと思った。すぐそこにスーパーがあって 周りはテイクアウトや出前対応の手ごろな価格でおいしいお店に囲まれているこの立地で食べ物はむしろ自分の好きにチョイスする楽しみまでないとしたらストレスだと思った。

 

きっと 子育てで私が躓くとしたら 自由の無さ。助けて欲しいと思うのは圧倒的にマンパワーや時間の部分で 徒歩1分とかからない近所のスーパーに行けば何とかなるような部分ではないのだ。

 

あとは 話す相手。私の世界が狭くなるのを防いでくれる抗鬱剤的な子育てしていない友人の存在が欲しい。

 

たぶん 私 眠る時間や話相手に困ると思います と お義母さんに伝えるとお義母さんはいい人なのと ちゃんと孫の誕生を楽しみにしてくれている人なので そこは分かってくれたんじゃないかと思う。

 

私がこれから直面するのは コロナの時にみんなが味わっていた閉塞感にプラス 彩度を増す緊急事態宣言後の世の中を参加せずに眺める寂しさなんだと思っている。産後のホルモンの変化に加え 赤ちゃんのこと中心で回る世界で自分や自分が属しているはずの物から隔絶される寂しさ。なんだかんだで ママ友は何かの機会にできるかもしれない。職場の後輩も遊びに来てくれると言ってくれていた。でも 何人かの友人や知人とは絶対に疎遠になっていくことだろう。

 

そもそも お産が無事とも限らない。

会いたい人には会っておきたいものだ。

 

そう思うと眠れなくて 眠れなくて 今日は凄く寂しく思った。

胃の中のジンジャーエールが変な楽器みたいだった音を思い出しながら 今日は子供みたいにちょっと拗ねている。