といっても
もう見ていらっしゃる方は
ほとんどいないと思いますが
実はですね
お遍路は88ヶ所回って
終わりではないようのです
それはお遍路の旅を
無事、結願できた事を
弘法大師、空海さんが
最後に入定された
和歌山県にある
”高野山金剛峯寺”
そちらに“御礼参り”をして
ようやく終わりとなる
そうなのです
ですので
そちらの報告と
後、非常にたくさんの方々に
応援して頂いたので
硫黄島に帰るまでの
“お遍路旅のその後”
の様子も少しお伝えできれば
幸かと思いましたので
そちらの方も更新させて
いきたいと思います。
それでは
~お遍路旅その後(高野山編)~
報告したいと思います。
お遍路の旅を終えた後
徳島の実家で英気を養い
一路大阪へ
大阪には
阿倍野区に祖父母の家があり
大阪時代、僕はそこに
住んでいました。
今も家は残っているので
そこに泊まって
次の日に高野山を目指す事に
しました。
それと
同じ和歌山にある
祖父母のお墓もお参り
していく事にしました。
朝、まだ薄暗い中を出発しました。

小さな頃、祖父母に会いに来ていた
天王寺もすっかり様変わりして
しまいました。
今や日本一の高層ビル
“あべのハルカス”
がそびえ建っていました
お遍路の世界とのギャップのせいか
大都会の景色を理解するのにかなり
時間がかかりました。
天王寺から坂を下り
和歌山に行く
南海電車の新今宮駅に
向かいました。

新今宮駅の目の前にある
日本で唯一のスラム街
西成区“あいりん地区”
の職業安定所を横目に
駅へと向かいます。
寒空の下
わずかな日雇いの仕事を
獲得する為に
沢山の人が
列をなしていました。
坂の上と下で
真逆の世界が存在して
いました
それもほんの
わずかな距離で共存している
お遍路の旅でも
出会う事のなかった景色
とても考えさせ
られました。

駅の構内へと入ると
早朝にも関わらず
おびただしい人の数
多くの人の顔に
笑顔はありませんでした

電車を待ちます。
この新今宮駅と南海電車は
僕にとってかけがえのない
思い出の場所で
小さい頃
祖父母に会いに来る時も
帰る時も利用する駅でした
昔は徳島から
大阪へ来るには
徳島と和歌山を結ぶ
“南海フェリー”
に乗ってしか来る事が
出来ませんでした
そして和歌山港と
大阪の中心部を結ぶのが
この“南海電車”なのです
そしてこの
新今宮駅は
いつも祖母が(祖父は足腰が悪く)
駅員さんにお願いして
徳島に帰る
僕達家族を電車が
去って行くまで
見送ってくれる場所でした
いつも泣くのを
堪えて手を振るのが
辛かった思い出があります。
そんな思い出を
噛みしめながら
二人の眠るお墓へと
向かいます。

驚く速さで
大阪の中心部から
和歌山へと電車は
走りました
みるみる内に
変わって行く景色
ビル群から住宅街
大きな川
視界がどんどん開けて
あっという間に
海が見えてきて
和歌山に入りました
お遍路では考えられ
なかった程の
景色の移り変わりの速度でした
まるで宇宙船に
乗っているようでした。
そして到着

いい加減覚えたはずの
お墓の場所なのですが
見つけるのに
少し苦労してしまいました
でも、なんとか見つける事ができ
花を添えて
お線香をあげて
お遍路を無事終える事が
できた報告と
お遍路で培った
お経をあげました
気持ち良くなってくれたかな?
こうして
お墓参りを無事済ませる事が
出来ました。
そして、次は
いよいよ高野山へ
ここは
和歌山なのでこのまま
高野山へと向かいたい
所なのですが
実は南海電車
海側と山側を結んでいないので
高野山のある
山側の南海電車に乗らなければ
なりません
その為には
もう一度
大阪に戻る必用があります
なので再び
南海電車に乗って
大阪へ
そして
到着
南海難波駅

次はこちらの山側を走る
南海電車で高野山へ

これまた
驚く速さで大阪から和歌山の
山奥へと電車は
走りました。
大丈夫なの?
と思わず心配になるほど
どんどん山奥へと電車は
走っていきました。
標高もかなり高くなって
きました
そして
終点の
“極楽橋駅”
に到着
辺りは
すっかり雪景色
とてつもない寒さでした
お遍路の記憶が蘇ります
しかし、ここから更に

こちらのケーブルカーに乗って
高野山の中心部へと向かいます

高野山は標高1000メートルにある
一大宗教都市で
中心部の高野町は
人口4000人の内
1000人がお坊さんだと
いう事だそうです。
そして
その高野町へ到着

本当に建物はほとんど
お寺かお寺関連の建物ばかりで
まるで異世界にでも
来たかのような感覚になりました
町行く人は
少なかったのですが
それでも
何人かの若いお坊さんを
見かけました
元気よく走っている
お坊さんもいました
目がキラキラ輝いていました
こんな山奥で
仏の道に入り
日々修行をされている
人々がいるなんて
思いもしませんでした。
そして
ここから
金剛峯寺、奥の院を
目指します

世界遺産になったので
さぞかし多くの人で賑わっていて
お土産屋さんなんかが
軒を連ねているんだろうなと
思ったら
真冬だったせいも
あるのか
その真逆で
辺りはひっそりと静まり
かえっていました。
山門を抜けると
空気が変わりました
奥へと続く道の脇には
大小様々なお墓が
広大な敷地に建っていました
一流企業のお墓も
沢山ありました
中でも目にとまったのが
自動車の日産のお墓です
お墓の前には
青年の銅像が2体
恐らく従業員の方々の
慰霊碑かと思われました。

後で知ったのですが
他にも歴史上の有名な
武将達のお墓なんかも
沢山あるそうですね
そして
奥の院に到着
しんしんと雪が
降る中、巨大な霊木に
囲まれて、奥の院は建っていました。
建物中に入っても
水を打ったように静まり
かえっていました。
四国88ヶ所のお寺では
お経や人々の会話があったのですが
どうやら最後は
“静”
を重んじる事が
求められているようでした。
注意書きにも
「静にお祈り下さい」
と書かれていました。
心のざわつきを
落ち着かせ
静になった所で
ただひたすらに
感謝の念を
唱えました。
これで
本当に
一通りお遍路さんの
旅を終える事ができました。
本当にありがとうございました。
そして
来た道を帰ります。
しかし、ここで
丁度、お遍路旅でお世話になった
友人と会える事になったので
帰りの電車で向かう事に

なんと鍋をご馳走して
頂きました!
二人とも大学時代の友達で
お遍路旅を影ながら支えてくれて
いました。
そして家主の左の彼が
実は何を隠そう
お遍路ブログや
僕の作ったジャンベTシャツの
ホームページのデザインを
無償ですべて
やってくれた張本人なのです。
久々の再会に
積もる話にも花が咲きました。
良い夜を過ごせました
ありがとうございました。
と、こうして
高野山へのお参りは
無事終ることができました。
でもせっかく
本州に来たのだから
お遍路の旅を応援して
頂いた
関東方面の
人にもお礼を言いに行こうと
いう事で
次の日は
東京へと向かう事に
次は、
「お遍路ブログおまけ(東京辺)」
を報告できたらと
思います。
※本当ならば、応援して下さった方々皆様に直接会ってお礼を申し上げるのが最善かと思ったのですが、時間の都合上やはり難しく、会う事ができなかった方々には本当に申し訳ありませんでした。














