先日はたまたま新月で、たまたま私のKIN88バースデーでした。
行く先々で知りました。笑
鉄砲玉のように弾丸で彼方此方へ行ってきました。
行く先々で沢山の方にお会いできて、ここには書き切れないほどの濃厚な時間でした。
有り難い気持ちで一杯です。
つくづく、有り難い気持ちが溢れてきて、心からありがとうが伝えられると思っています。
形式上でのありがとうなら、私は要らないなぁ。
寂しくなるから。
私にはまだ、心からありがとうと伝えられない事がいくつかあります。
いつの日か、心からありがとうと言える日がきたらいいな、とは思っています。
それが例え直接伝えられなかったとしても。
全てにおいて言えることかもしれませんが、言葉と気持ちが一致しなくても、言葉だけ発すると自分を信じることができなくなります。
全てが綺麗事になり、薄っぺらく感じます。
私は自分をそうはしたくない。
更に、幸か不幸か自分に嘘をつくと、速攻で身体に現れてしまうようになってきました。
悲しいのに悲しくないとか、大丈夫じゃないのに大丈夫とか、怒っているのに冷静に振る舞うとか、以前ならデフォルトだったけど、いよいよ、もう無理。
人は、認めたくない現実や見たくない自分を垣間見た時、戸惑い、悩み、これまでの考え方では抜け出せなくて、右往左往して彷徨い続ける。
過去の傷を憂い、明日を占い、スピリチュアルに救いを求め、苦しみの原因を探し、優先順位を見失い、自分からズレていく。
認めたくない現実や見たくない自分から逃げ続けるか、真っ向から受けとめるか、しかないから苦しみを抱えたまま先送りにしていく。
そして、良いと思うものを掻き集めて、ネガティブだと思われるものを排除し、幻想に陥る。
それは、私は不自然なことだと思っています。
何故なら、ネガティブなことに恐れを抱いているが故に、常に問題を探し、問題をつくり、解決することに大半のエネルギーを使うからです。
無菌状態で波風を立てず、幸せを願う。
それって恐れが土台にあるから、平和のように見えて心は平穏ではない。
仮に、願った幸せが訪れても、そこにまた問題をつくり、更なる無菌状態を探すことになる矛盾の連鎖になると思うのです。
私はフィボナッチ音階が大好きです。
自然な螺旋を自らが発したいから、
私は、泥にまみれても掴む喜びがほしいと思う。
それが例え、ネガティブの塊を体験したとしても、自分が欲しいものなら飛び込めばいい。
見たくない自分に落ち込み、惨めな気持ちになったとしても。
いつか、笑い話になる日が来る日まで。
そうやってひとつ、またひとつ、とお守りのように握りしめていたものが必要なくなってきました。
まだまだ手ぶらになれない私もいますが、手ぶらになって初めて両手を広げられるのかな、と思っています。
これがなきゃ、とかそれがないと幸せになれない、みたいな拘束は不自由なんです。
考え方も同じだと思っています。
何かに従って考えるのは、もっと苦手です。
正しい、間違いを生むから。
苦しいなら苦しいを味わうしかない。
味わいきらないで、認めないから、いつまでも誰かに従いたくなる。
それも、正しいと認めた人に。
自分より正しい人をつくると、今度は自分にOKが出せなくなる。
その人に聞かないと自分が自分でいる安心感が薄れてくる。
正しいと思う人がYESで、自分がNOの時、YESに変える努力が必要になります。
その割合が増えれば増えるほど、自分という存在が遠くなる。
自分との距離は、人との距離に比例している。
自分と距離が遠いと、居場所がない気持ちになる。
見た目は私でも、中身に私が見えなくなるから、外側に居場所を探したくなる。
そして、また無菌状態をつくろうとする。
なんだかなぁ、です。
本当は、目の前に起こること、目の前にいる人、目の前にあるものに真っ向から向き合うだけでいい。
自分の考え方で、感じ方で。
やり方もない。
上手くいっても、上手くいかなくても。
だって、それが今の私だからしょうがないって言えたらいいんじゃないかな?
それを受けとめてくれる人が必ず現れるから。
私は、絶対という言葉はあまり使いませんが、これは絶対だと言い切ります。
だって、私がそうだったから。
昔の言葉にあるように、捨てる神あれば拾う神あり、なのです。
散々遠回りして、そこにも意味があるんだ、なんて言い聞かせたこともあるけど、無駄は無駄。
やるだけやってダメならしょうがない。
幸せになるためには苦しみを越えたところにある、なんて思う必要もない。
そんな概念があると、苦しみがないと幸せが来ないから。
結果的にはそうなることもあるかもしれないけど、結果論に過ぎないし、どこにフォーカスするか、にもよります。
そんなことより、自分が感じる幸せになったもん勝ちって思います。
2025年がどうとか、も色々囁かれていますが、そんなことどうだっていい、と思う。
天変地異が起こっても、愛しい人に抱き締めてもらえたなら、何が起こってもいいと思える。
何にしても、今目の前にあることを精一杯やる。
今出来ないことは明日も出来ない。
何もなくても、自分を信じられることから。
Kazumi