北方領土を、侵略、略奪された経緯を知っていますか? | ギラのぎらぎらな日々

北方領土を、侵略、略奪された経緯を知っていますか?

日本は、第二次世界大戦のときに
アメリカを始めとする、連合国軍と
大東亜戦争を行いました。


そして、敗戦の色が濃くなってきた後半に
原子爆弾を投下され、大空襲で焼け野原にされ
停戦合意のポツダム宣言を受入れる形になった。

すると、その停戦合意し、日本が武装解除した
瞬間を狙って、一方的に宣戦布告をして
北方領土に侵攻して、不法に領土占領した
ルール無視の火事場泥棒が ロシアなのです



今現在、ここまで、不法に領土を
略奪された状態が続いています
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本来、日本の固有の領土である 北方領土は
緑のエリアは全部日本の領土であり
日本人が 住んで生活をしていました。
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日本は第二次世界大戦で
アメリカをはじめとする連合国軍に
戦争に引きずり込まれました。

自国を守る為に、自存自衛の為に
大東亜戦争を戦いました。

最終的に、国際ルールを無視したアメリカが
一般市民を大虐殺する、東京大空襲や
名古屋大空襲を 行い 一晩で何十万人もの
一般市民を無差別虐殺しました。

それに加えて、広島、長崎に、これまた
国際法のルールを無視して
原子爆弾を2発打ち込み
何十万人の尊い一般市民を皆殺しにしました。

その結果日本は、天皇陛下が国民をこれ以上
傷つけて滅ぼすわけにはいかないと
停戦を受け入れ、ポツダム宣言となりました。

そして、日本は、敗戦 そして 終戦へ
なっていくのですが、 

その 日本が 無条件武装解除を受け入れ
停戦の処理をおこなう手続きをしようとしている
その ドサクサに 乗じて ロシアが
一方的に宣戦布告し、国際ルールを無視し
北方領土に侵攻し 住民を殺害し、そして
北方領土を占領したのです。


1945年8月9日
 ソ連は当時有効であった日ソ中立条約を一方的に破棄し、対日宣戦布告する。

8月14日 
 日本はポツダム宣言を受け入れた。
 (日本国民には8月15日に発表したため、
 日本では8月15日が終戦記念日とされる。)

8月18日
 ロシア北千島の占守島から侵攻開始。

8月28日

 択捉島に上陸

9月1日
 国後島、色丹島に到達

9月5日
 北方四島の占領を完了する。


9月2日
 降伏文書の調印を行う。
 ロシアはこの日を対日戦勝記念日法を成立させた。
 それは、ロシアが法的に北方領土への侵略を正当化しようとするものである。


8月14日以降のソ連軍による侵攻は、
日本が、停戦合意の後の侵攻であるから、
国際法上まさに不法といえる。
停戦合意を破って侵攻してきているのだ。

今回のロシアの 9月2日の対日戦勝記念日法は、
日本のポツダム宣言の受諾を無視し、戦争の終結を
あたかも9月2日であるかのように見せかける意図。
つまり、ロシア側としては、9月2日までの侵攻は
戦争による奪い取った領土であると正当化するものである。


8月14日から9月2日までの樺太、千島列島(含む北方四島)への
不法占拠を不法でないように、正当化しようという
姑息な法律といわざるを得ない。


しかし、歴史的事実は変わらない。
ソ連は有効であった日ソ中立条約を一方的に破ったということ。
ソ連はポツダム宣言受諾後にも平然と侵略をしてきたということ。

この2つの事実は変わらない。


北方領土は、樺太の南半分と
千島列島は 全部日本の領土であるという事を
私達は 忘れてはいけない


かならず
取り返そう

メドベージェフも
プーチンも 逝ってよし


日本が、強くなる事でしか
取り返せません。

経済的にも、軍事的にも 外交的にも。
そうでなければ 取り返せません。

竹島も、
北方領土も
拉致被害者も。


ギラのぎらぎらな日々




またねん

ギラ


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