結果1
結果:行ってよかった
というわけで宮城県亘理郡亘理町(わたりちょう)での4日間のボランティア活動を終え、戻ってきました。
ただ、blogに書いて「過去」のことにするのがためらわれるほど現在進行で酷い状況が続いています。あの光景が太平洋沿岸数百キロにわたって続いているかと思うと想像を絶します。
各種メディアなどでは「復興」という文字が溢れていますが、少なくとも僕が見て回った地域では復興は始まっていませんでした。3.11以前の普通に電気、水、ガス、があって、普通に帰れる家があって、という状態を100とするなら、現状は-250くらい。今はそれを0に近づける作業。0からが復興だと思いました。
正直、元の状態に戻すまで何年かかるか分からない、というか同じ事を繰り返さない為にも今まで以上に防災に対する何もかもを整備しなければならないので、本当に長い時間がかかると思います。なので、みんなの力がもっと必要だと改めて思いました。もちろん必要以上に焦る必要はないけれど、あちらでは常に人手が足りてないので、「行きたきゃ行ってこい!」と背中を押してあげれるくらいのレポートができれば、と思います。
まず、行く事になった経緯など諸々はこちらご覧下さい。
今回は中野社会福祉協議会(中野ボランティアセンター)が募集をかけていた災害ボランティアの一員として現地へ。他にも東京都やピースボートなどの団体が募集していましたが、募集開始後すぐに定員オーバーだったり、日程が合わなかったり。
1~5期まであり、僕らが行った3期は20代前半から40代後半までの男女、計12名。皆さん自分から情報を集めまくって災害ボランティアに行く事を「強く」望んだ方々。中には石巻まで原チャで行き既にボランティア活動をしてきた強者も。
亘理町が立ち上げた災害ボランティアセンター(以下VC)付近にはテントスペースが設けられ、全国から集まった方々(南は沖縄から北は北海道、そして国外からも)がテント泊(or 車中泊)をしつつボランティア活動する、というのが基本。余震の影響で断水や停電の恐れもあるので、それなりに準備はして行ったけどお風呂も普通に入れたし、近所のスーパーは普通に営業してたので足りないモノは買えるという状況。関東でも数日前まで品薄だったヨーグルトや納豆もこちらでは普通に売ってた。
※同じ町内でも津波の被害があった地域となかった地域で雲泥の差です。
活動期間は寒気のせいか寒い日が多く、日によっては夜中に氷点下に。
拠点となった災害VCすでに活動を終えそれぞれの地元に帰られた方々のメッセージや全国から送られてきたメッセージスタッフさん手作りの時刻表などこの災害VCは良い意味で学生ノリ、というかアットホームな雰囲気で殺伐としてない。行くまではもっと切羽詰まったカンジなのかと思ってましたが、地元の方々(=この方達も被災者)は笑顔で迎えてくれました。
ただ、大人(=国や県のお役所関係の方々)の姿は圧倒的に少なく、こうして運営できてるのは亘理町民の方々の団結力の賜物だと思います。現に県外からのボランティア受け入れ可能な災害VCは数カ所しかなく、インターネットで災害VCの活動状況を発信してくれてるのも希有な存在。
災害VCの隣の体育館が支援物資の保管場所皆さんからお預かりしたファブリーズはこちらに渡してきました。
皆さんのご協力に感謝!今回は事前に調査をしたのでニーズに応えられましたが、物品によっては偏りがあってすでに過多なものも。歯ブラシなど、1人で何本も必要ないモノはこうして溜まっていくようです。支援依頼があってから、たった半日でニーズが変わるようなモノもあり、その見極めはホントに大変そうでした。
ニーズとのマッチングはこちらのサイトが便利そうでした。
http://fumbaro.org/
更新回数も多く、送った時にはすでに不必要…ということも減らせそうです。
また、個人で送られる場合はなるべく「一つの品をたくさん」が良いと思います。
「多種類を少しずつ」送った場合の仕分けと保管にかかる人と時間は莫大。この体育館を見せていただいた時も10数人のボランティアさんが仕分けに奔走しておりました。あ、そうだあとこれから必要になってくるのが春/夏ものの服。ただ、どこの物資仕分け場所でも多いのが「着古した服」なんだそうな。そういった服は全て廃棄。結果として被災地にゴミを増やしてるだけ。言い過ぎかもしれませんが、押しつけの善意は暴力に近いと思う。ただでさえ避難所暮らしの過酷さを実感できない僕らは、その10倍くらいの想像力を働かせなければ。皆さん普通通りの生活をしたがっていますから。
その2へ続く
というわけで宮城県亘理郡亘理町(わたりちょう)での4日間のボランティア活動を終え、戻ってきました。
ただ、blogに書いて「過去」のことにするのがためらわれるほど現在進行で酷い状況が続いています。あの光景が太平洋沿岸数百キロにわたって続いているかと思うと想像を絶します。
各種メディアなどでは「復興」という文字が溢れていますが、少なくとも僕が見て回った地域では復興は始まっていませんでした。3.11以前の普通に電気、水、ガス、があって、普通に帰れる家があって、という状態を100とするなら、現状は-250くらい。今はそれを0に近づける作業。0からが復興だと思いました。
正直、元の状態に戻すまで何年かかるか分からない、というか同じ事を繰り返さない為にも今まで以上に防災に対する何もかもを整備しなければならないので、本当に長い時間がかかると思います。なので、みんなの力がもっと必要だと改めて思いました。もちろん必要以上に焦る必要はないけれど、あちらでは常に人手が足りてないので、「行きたきゃ行ってこい!」と背中を押してあげれるくらいのレポートができれば、と思います。
まず、行く事になった経緯など諸々はこちらご覧下さい。
今回は中野社会福祉協議会(中野ボランティアセンター)が募集をかけていた災害ボランティアの一員として現地へ。他にも東京都やピースボートなどの団体が募集していましたが、募集開始後すぐに定員オーバーだったり、日程が合わなかったり。
1~5期まであり、僕らが行った3期は20代前半から40代後半までの男女、計12名。皆さん自分から情報を集めまくって災害ボランティアに行く事を「強く」望んだ方々。中には石巻まで原チャで行き既にボランティア活動をしてきた強者も。
亘理町が立ち上げた災害ボランティアセンター(以下VC)付近にはテントスペースが設けられ、全国から集まった方々(南は沖縄から北は北海道、そして国外からも)がテント泊(or 車中泊)をしつつボランティア活動する、というのが基本。余震の影響で断水や停電の恐れもあるので、それなりに準備はして行ったけどお風呂も普通に入れたし、近所のスーパーは普通に営業してたので足りないモノは買えるという状況。関東でも数日前まで品薄だったヨーグルトや納豆もこちらでは普通に売ってた。
※同じ町内でも津波の被害があった地域となかった地域で雲泥の差です。
活動期間は寒気のせいか寒い日が多く、日によっては夜中に氷点下に。
拠点となった災害VCすでに活動を終えそれぞれの地元に帰られた方々のメッセージや全国から送られてきたメッセージスタッフさん手作りの時刻表などこの災害VCは良い意味で学生ノリ、というかアットホームな雰囲気で殺伐としてない。行くまではもっと切羽詰まったカンジなのかと思ってましたが、地元の方々(=この方達も被災者)は笑顔で迎えてくれました。
ただ、大人(=国や県のお役所関係の方々)の姿は圧倒的に少なく、こうして運営できてるのは亘理町民の方々の団結力の賜物だと思います。現に県外からのボランティア受け入れ可能な災害VCは数カ所しかなく、インターネットで災害VCの活動状況を発信してくれてるのも希有な存在。
災害VCの隣の体育館が支援物資の保管場所皆さんからお預かりしたファブリーズはこちらに渡してきました。
皆さんのご協力に感謝!今回は事前に調査をしたのでニーズに応えられましたが、物品によっては偏りがあってすでに過多なものも。歯ブラシなど、1人で何本も必要ないモノはこうして溜まっていくようです。支援依頼があってから、たった半日でニーズが変わるようなモノもあり、その見極めはホントに大変そうでした。
ニーズとのマッチングはこちらのサイトが便利そうでした。
http://fumbaro.org/
更新回数も多く、送った時にはすでに不必要…ということも減らせそうです。
また、個人で送られる場合はなるべく「一つの品をたくさん」が良いと思います。
「多種類を少しずつ」送った場合の仕分けと保管にかかる人と時間は莫大。この体育館を見せていただいた時も10数人のボランティアさんが仕分けに奔走しておりました。あ、そうだあとこれから必要になってくるのが春/夏ものの服。ただ、どこの物資仕分け場所でも多いのが「着古した服」なんだそうな。そういった服は全て廃棄。結果として被災地にゴミを増やしてるだけ。言い過ぎかもしれませんが、押しつけの善意は暴力に近いと思う。ただでさえ避難所暮らしの過酷さを実感できない僕らは、その10倍くらいの想像力を働かせなければ。皆さん普通通りの生活をしたがっていますから。
その2へ続く