今日、ちょっとセレブ気分で、行きたかったお店にランチに行った。


3500円くらいのランチプレート。せっかくだし、優雅に美味しいものを食べようと思って。


でも、食べてみたら、なんか……味、薄い。


ステーキソースがほしい。塩気が足りない。


「これ、サルサソースだけなんかな?」

「なんか忘れてない?」


そんなふうに、ずっとモヤモヤしていた。


しかも、ちらっと向かいのテーブルを見たら、塩とペッパーが置いてある。


あそこにはある。

だったら、持ってきてもらえばいい。


「すみません、塩かステーキソースありますか?」


それだけ。


なのに、聞かなかった。


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なぜ聞かなかったのか


たぶん、「失礼かな」って思ったんだと思う。


出されたものに「足りない」と言うのは失礼かな。

せっかく出してもらったのに、文句を言うみたいかな。わざわざ言うほどのことでもないかな。


何なら、薄味のほうが健康的かな……。


そうやって、相手の気持ちを勝手に想像して、自分の「足りない」を引っ込めた。


そして店員さんに、


「おいしいです」


とか言ってしまった。


いや。おいしくないわけじゃない。

でも、「もっと美味しくできるのに」と思いながら食べてた。3500円払って。


これが、めちゃくちゃつらかった。


だって、これ。私の在り方そのものやん。


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本当は、わかっていたのに


「なんか違う」「これが欲しい」

「こうだったら、もっといい」


って、本当はわかってる。

なのに、「まあ、いいか」って受け取る。

出されたものを、そのまま食べる。

ちょっとモヤモヤしながら。


そして、「おいしいです」って言う。


本当は、塩が欲しかったのに。

本当は、ステーキソースが欲しかったのに。

本当は、「私はこれがいい」って言いたかったのに。


「失礼かな」と思って、言えなかった。


これって、単に「塩を頼めなかった」という話じゃない。


私はずっと、自分の感覚より、相手がどう思うかを先にしてきたんじゃないか。


「嫌だ」「違う」「欲しい」「こっちがいい」


そう感じた瞬間に、「でも……」って、自分を引っ込める。


相手に失礼じゃないかな。

わがままじゃないかな。

迷惑じゃないかな。


そんなことを考えているうちに、自分が何を感じていたのかすら、なかったことにする。


そして、出されたものを食べる。モヤモヤしながら。


これが一番、つらい。


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セレブ気分で行って、気づいたこと


セレブ気分でランチに行ったのに、私がやっていたのは、


「出されたものを、黙って受け取る私」


だった。


高いものを食べれば、セレブになれるわけじゃない。いい場所に行けば、自分を大切にしていることになるわけでもない。


たぶん本当の意味で、


「私は私の世界を生きる」


っていうのは、塩が欲しかったら、「塩ください」と言えることなんだと思う。


こんな小さなことから。

「私はこれがいい」を、自分に許す。


相手に失礼かどうかを考える前に、まず、「私はどう感じてる?」を聞く。


今日の私は、ずっと「なんか惜しいなー」と思っていた。


そして最後に気づいた。


惜しい。残念。


これ、私のことやん。


もう、モヤつきながら食べたくない。


人生も。


……あー、イタいイタい😂


次はちゃんと、


「すみません、お塩ください」


って言おう。



追記


たかが塩ひとつなのに、なぜ言えなかったのか。

「失礼かな」だけじゃなく、もっと奥に「本音を言うのは危ない」という感覚があった気がする。


「何が欲しい?」だけじゃなく、「今どう感じてる?」「今どうしたい?」を、

願いが叶ったあとも自分に聞いてあげることが大事なんだということに気づいた。


欲しかったステーキは食べられた。

でも塩が欲しくなった。

ならまた、その時点で自分の声を聞けばいい。

願いを叶えるだけじゃなく、叶えた場所で自分を置いていかない。


「本音を言えない」は性格じゃなく、昔の自分を守るための生存戦略だったのかもしれない。


続きは最近始めたnoteの有料記事に書いた

私の人生においてとても大事な話。