前の記事でマカロニ熱が再び上がってしまったのでまた書かせていただく(笑)。
何度か書いた通りマカロニウエスタン史上最も有名な主人公名は間違いなく「ジャンゴ」なのだ。
フランコ・ネロ主演、セルジオ・コルブッチ監督の「続 荒野の用心棒」=原題「DJANGO」のヒット以来、柳の下のドジョウを狙って、雨後の筍の如く製作された数多のジャンゴ名を冠した作品群。
トーマス・ミリアンの「情無用のジャンゴ」など、たまたま主人公が同じ名前(とは言え意識しているのは明白だよね)もあるものの、多くはアンソニー・ステファン他バッタもんが演じていたりの偽物ばかり。
邦題の「血斗のジャンゴ 」のみならず、タイトルにも記されず、主役が別名でもみんなジャンゴ(笑)。西ドイツではネロ主演のマカロニウエスタンは全てジャンゴ名で公開されたりなど、とにかく「DJANGO」の名前はそれだけで商売になるくらいインパクトも強く、求められた役名なのだ。
前作「続 荒野の用心棒」は、ある意味レオーネの「荒野の用心棒」や「夕陽のガンマン」などの傑作群以上に、残酷でいかがわしく、ヘンテコな武器が出てきて、映画としては歪であろうが、抗い難い魅力を発する「マカロニ・ウエスタン」というジャンルを体現している作品であったのだ。
タランティーノも三池崇史も自らの映画のタイトルに拝借し、敬愛した「ジャンゴ」。その名のカッコよさ!
そう、タランティーノの「ジャンゴ 繋がらざる者」で、「名前はDJANGO。Dは発音しない」というジェイミー・フォックスのジャンゴに「知ってる」と短く答えるネロは最高だったなあ。
綴りは違うが、あのスターウォーズの賞金稼ぎボバ・フェットの親父だって「ジャンゴ」なのも頷けてしまうのだ。
とにかく保安官など「正義の人」ではない虚無的なアウトローが主人公というのが、まず正統なアメリカ西部劇では有り得ない。
その彼=ジャンゴがシルエットのみならず黒づくめで、馬に乗らず泥道を棺桶を引き摺って現れる冒頭からして異様だった。
その棺桶の中には機関銃なんて素敵すぎる展開!
敵に両手を潰されてのラストの墓場での決闘まで、俺みたいなボンクラを一発でKOするには充分すぎるダークヒーローだったジャンゴ。
そんなわけで、以前記事に書いたテレンス・ヒルの「皆殺しのジャンゴ」を除けば、フランコ・ネロが演じるジャンゴ20年ぶりの正統続編であるこの作品をこの週末、恐る恐る観たのだ!(笑)
ジャンゴ/灼熱の戦場(1987年)
DJANGO STRIKES AGAIN
IL GRANDE RETORNO DI DJANGO
監督 : テッド・アーチャー キャラクター創造 : セルジオ・コルブッチ 原案・脚本 : ネロ・ロサティ、フランコ・レギアニ 撮影 : サンドロ・マンコーリ 音楽 : ジャンフランコ・プレニツィオ
出演 : フランコ・ネロ、クリストファー・コネリー、リシア・リー・ライオン、ウィリアム・バーガー、ロバート・ポッセ、ドナルド・プレザンス
先に書いておこう。やはり予想通りジャンゴはカッコいいのだが、何でもアリのマカロニウエスタンの中でも異色、もはやウエスタンとも言えない色んな意味で残念でもあった一作だ!(笑)
修道士イグニシアスとして静かな生活を送っていたジャンゴの前に昔の女が現れ、自分の死後、彼の娘でもあるマリーソルの面倒をみるように言い残し去る。
その頃、ハンガリーから来たオーロウスキー総督が自らの軍を率いながら、所有する銀山の採掘や人身売買用に、戦闘蒸気船で近隣の町を襲い人を拐い奴隷として扱っていた。
色っぽい黒人女の奴隷をはべらせながら、自らの欲望のまま君臨するオーロウスキー。
という物語なのだが、製作されたのが1987年ということもあり、恐らく当時ウエスタンを撮影していたセットなどはもう無くなっていたのだろう。
物語はメキシコと言うより南米に近いような、書いた通り戦闘蒸気船が進む川沿いが舞台。
お馴染みの砂塵吹き荒ぶ荒野はほとんど出てこない代わりにジャングルみたいなところがふんだんに出てくるところがまず残念なのだ。残念といえば上のジャケットは俺の所持するDVDなのだが、ジャンゴもこんな黒づくめの格好ではなく、裏ジャケも前作のスチールが使われている韓国製のパチモンなのだ。
下の左の正統DVDや右の海外のポスターのイメージ通り、ジャンゴがランボーみたいになってしまっているのがいやはや何ともなのな作品でもある(笑)。
調べたら監督のテッド・アーチャーは脚本のネロ・ロサティの変名。彼は翌年同じネロ主演の「アステカ・アドベンチャー/宇宙の秘宝」なるSF作を撮っているのだが、どうしてこんな南米でランボーもどきのジャンゴを撮ろうと思ったのか…(涙)
前作では金のために二つの勢力の間を立ち回り、孤独な戦いをしていたジャンゴだが、今回は戦いに身を投じるのも娘のためでもあり、またオーロウスキーを父の仇と狙う少年ミゲリートとコンビを組むなど、子どもがらみの展開にちょっと調子が狂うところも多いのだ。
捕まって奴隷として送り込まれた銀山の島で知り合ったガン(何とドナルド・プレゼンス!)と親交を結ぶなど、決して孤独ではないのも前作とは違うところだ。
それでも悪辣なオーロウスキーに戦いを挑むために「もうジャンゴは死んだ」と自ら言っていた通りの、己の墓を掘り起こしに向かう。
そこで襲われる未亡人を助けるために、掘り起こした棺桶から再びガトリング・ガンを手にするシーンは思わず燃えてしまうのは確かなのだ。
娘を助けようと動き回るジャンゴは霊柩車(馬車)にガトリングを載せて総督がらみの場所を襲う。
抵抗に業を煮やしたオーロウスキーは、ジャンゴを捜して修道院を襲うが、それがきっかけで修道士たちはジャンゴを神の使者と認めることになるあたりは、キリスト教的アプローチが数多く現れた前作の影響もあるのかもしれない。
思えば棺桶を引き摺って地獄の使者のように現れた前作から、神の祝福を得るまでになったジャンゴってのがまた印象深いのだ。
それでもガトリング銃を抱えるネロのジャンゴはやはりカッコいいのだ!
奴隷たちと共にオーロウスキーを倒すジャンゴ。
しかし、最後までリボルバータイプの銃を持つことなく、ガトリングとソードオフのショットガンを使うあたり、20年前に潰された手の影響なのかと考えもしたのだった。
娘やミゲリート少年を残し、再びさすらいの旅に出るジャンゴ。残ってくれと言うミゲリートに「自分を求める人がいるから無理だ」と答えて去るも、振り返り「しかし、いつか必ず帰る」と言い残していく…。
孤独なアンチヒーローだったジャンゴ。数々の地獄を見た彼が、正義の使者として戦いの日々に戻ったとしても、いつか家族の元に戻り安息を求めるの日が来てもいいだろうという気もする。
実は本作、冒頭に老ガンマンたちが出てくるシークエンスがある。20年ぶりの決闘をするものの勝負がつかず、酒を酌み交わす2人は「俺たちの中でも凄かった機関銃を持ったアイツ」の話題を出すのだが名前が出てこない。
2人は死に場所を求めるように総督の船に挑んで砲撃死する間際「そうだ。奴の名前はジャンゴだ」と思い出す。
明らかに画質も違っていて、後から撮り足した感が満載なのだが、老ガンマンたちの1人をあのウィリアム・バーガーが演じていることもあり、
時代遅れとなった老ガンマンたちの中でも、ジャンゴが伝説となっているのが見てとれて中々に良かったのだ。
本編は書いた通りの展開なのだが、南米のような場所ではなく、あの冒頭の雰囲気、あの砂埃だらけの荒野を舞台に「伝説」であり「神の使者」になったネロのジャンゴの、ランボーもどきの活躍ではない、安息とは程遠い「最期」を観たかったのは俺だけだろうか…。
せめて音楽がマカロニぽかったり、ラストにあのルイス・バカロフの名曲「DJANGO」でも流れてくれたら、あと5点、点数上げたのになあ…
と、文句を垂れ流しながらも、20年の時を経てもガトリングを抱えるネロ=ジャンゴの姿を拝めただけで、このキャラに惹かれ、ジャンルの鬼っ子マカロニウエスタンに惚れてしまったボンクラの一人として、どうしても嫌いになれない一本でありました(笑)。