BO●K OFFではない中古屋は福島には少ないのだが、郡山にある数少ない別の店の店舗が福島市にもあると知って、土曜日にドライブがてら下道をゆるりと行ってみた。
郡山の店舗よりDVDコーナー自体は狭いものの、マイ「見つけたら即買い」リストに入れていた欲しかったDVDを2本も見つけてウハウハしながら帰宅したのであった。そのうちの1本を今日、劇場公開以来約30年ぶりに鑑賞した。
死霊のえじき DAY OF THE DEAD (1985)
監督・脚本:ジョージ・A・ロメロ 製作:リチャード・P・ルビンスタイン 製作総指揮:サラ・M・ハッサネン 撮影:マイケル・ゴーニック 特殊メイク:トム・サヴィーニ 音楽:ジョン・ハリソン
出演:ロリ・カーディル、テリー・アレクサンダー、ジョセフ・ピラトー、リチャード・リバティー、アントン・ディレオ、ハワード・シャーマン、ジャーラス・コンロイ、ゲイリー・ハワード・クラー、ラルフ・マレロ、ジョン・アンプラス
言わずと知れた「夜」、「夜明け」と続くロメロのDEAD三部作の最後の1本。死者が甦り人を食らい、襲われた人もまた生ける死者として人を襲うというモダンゾンビを定義し、その恐怖を町はずれの一軒家に逃げ込んだ様々な人々の一夜として描いた1作目「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」。事態が拡大しその混乱の中、ショッピングセンターに立て篭もる4人を中心に描きゾンビ映画のマスターピースとなった2作目「ゾンビ」。そして更に事態は悪化し死者対人間の比率は40万対1という絶望的な状況を、今までの2作で出てこなかった「軍」と「科学者」で描いたこの3作目。自分はどの作品も好きなのだが、この作品がまとう「暗さ」と「閉塞感・終末感」はかなり好きなんだよなあ。
特典のインタビューでもまず語られていた通り当初の予算が随分縮小しての制作だったようで、舞台のほとんどが地下の軍事基地という正直こじんまりとした設定もあり、1作目の一軒家の拡大版のような閉塞感が全体を支配している。
冒頭のマイアミ市街のシークエンスこそ、人の声に反応して建物のそこここからわらわらと現れる死者の群れを空の見える屋外で撮影しているが(余談だがTV「ウォーキング・デッド」で似たシーンがあり、あの作品のロメロリスペクトぶりに改めて感心した)この冒頭以外は本当に息苦しくなるような地下での話が続くのだ。
当時のレーガン政権の軍事予算アップ、右傾化を批判するかのような、軍の「悪役設定」と、対する科学者グループとの対立という、ゾンビ以上に生き残っている人間側の「解り合え無さ」故の自滅という話も、1作目の拡大版だと改めて思った次第。いがみ合いここに極まれりで、ゾンビに襲われるより先に人間によって撃たれる、殺されることの多いこと!
娘たちに「おとーさんは何でゾンビ好きなの?」と先日の帰省時に聞かれ(何という質問だ! 笑)、「俺はゾンビが好きじゃなくて、ゾンビがいるのにそこでも解り合えない人間同士の葛藤や、解り合えていた人間がゾンビになっちゃって倒さざるを得ない哀しみ、絶望感、そのドラマが好きなんだよ!」と熱弁をふるったのだが、まだロメロ映画のゾンビを観ていない彼女たちにはピンとこなかったようだ(熱弁ふるうなよ、俺 笑)。
思えばゾンビ=モンスターとして殺しまくる映画は多いが、この「人間同士の解り合え無さ」にドラマの軸足を置いているのがロメロの映画の特徴なのだ。本作でもクライマックスのゾンビ雪崩れ込み以外はほとんどが息詰まる人間同士の軋轢のドラマだ。
「ゾンビ」が切っかけでこの手の映画が好きになった人もいるだろう。自分のように昔から恐怖映画・怪奇映画が好きで、「エクソシスト」のオカルト映画ブームも体験し「サスペリア」のダリオ・アルジェントが絡んだ映画として公開された「ゾンビ」に注目した人も多かったはずだ。
確かに当時の公開作としては「ナイト~」のパクリ「悪魔の墓場」(でも好きさ!(笑))以来の人の臓物を食らうというエグい描写をはじめとする様々なゴアシーンもある。しかしあの映画の凄みは、全体を覆う現代の消費世界がほんの表層的なものだと実感させる「やるせなさ」とその先にある「絶望感」だと思うのだ。
この「死霊のえじき」はどうも前作のゾンビより評価が低いようだが(自分も先にDVD手に入れたのはゾンビの各バージョンだったが(笑))、ロメロの示す、変わらない絶望感(=ゾンビが蔓延するという状況以前に、人間同士が争い自滅する)は前作以上だと思うのだ。
実際当時は「ゾンビ」が80年代のビデオブームで再評価され、ロメロも「ホラー映画の帝王」的な扱いになっての新作だっただけに、公開前から好き者には大注目されていた記憶がある。しかし邦題の「えええ?」という困ったさ加減は別として、ロメロの皮肉とも言える冷めた視線は全く古びることなく、トム・サビーニによる特殊メイクの最高峰のゴアシーンとともに、今見ても時代を感じさせない一本だと思う。
当時も疑問視された「バブ」の存在も、これだけゾンビ映画が多様化した今観れば、ロメロがこの時点で、過去を記憶し、知恵やある種の感情を持つゾンビを示したのはやはり新しかったと思う。このバブの存在は後の「ランド・オブ・ザ・デッド」のビッグデディに繋がっていくのも今となっては頷けるのだ。
何よりロメロにとってゾンビはモンスターではなく、再び動き出した死体=「人間」であることをはっきり示す必要があったのかもしれない。とんでもないマッドサイエンティストではあったが、彼を慈しんだ博士の死を哀しみ、そして仇を討った後に、皮肉とも言える最期の敬礼をするバブにグッとくる瞬間、我々は「倒すべき相手」としてゾンビを見るのではなく、「真の敵」を示されることになるのだから。
日曜、雨の午後。たっぷりと堪能したヘビー級の1本。
ゾンビもディレクターズカット版、アメリカ公開版に続き、アルジェント監修版も手に入れたし、もう1つの手に入れた拾い物も含めまたぼちぼちと観ていこうと思う。んではまた!