前巷説百物語 | B級パラダイス

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「前巷説百物語」(さきのこうせつひゃくものがたり) 京極夏彦

「正」,「続」,そして明治の世まで続いた「後」と
どうしても収まらぬ様々な出来事や依頼を「妖怪」の仕業として収めてしまう
仕掛けの一味を描いた「巷説百物語」。
この仕掛けの中心人物「小股潜りの又市」の若き日を描いた一遍が今回の一冊。
これまでの時代を遡り、駆け出しの又市を描いている。
言わば「又市ビギニング」「巷説百物語0巻」とも言える連作短編集だ(でも厚い(笑))。

物貸しを商売にする根岸町の損料商“ゑんま屋”に流れ着いた若き日の又市。
蒲団から椀だの膳など何から何まで貸し出し、傷んだ分を「損料」として受け取るこの損料屋は
今でいうレンタル屋。だが場合によっては人も貸す。知恵も貸す。腕も貸す。
中では口では言えないものも・・・大損 まる損 困り損、泣き損 死に損 遣られ損、
ありとあらゆる憂き世の損を、見合った銭で肩代わりする・・・
つまりは頼みの筋からの銭で埋まらぬ損を買い、定法をくぐりぬける仕掛けで
その損を埋める裏稼業もやっているのだ。

又市が損料仕事を請け負うことになる第一話「寝肥(ねぶとり)」の物語から
手先が器用で小道具大道具づくりをする異形の「長耳の仲蔵」
又市とともに上方から流れてきた相棒の縁起物売り「削掛の林蔵」
元締めであるゑんま屋の主「お甲」や荒事担当の元武士「鳥見の旦那」こと「山崎寅之介」など
彼を取り巻く魅力溢れる仲間たちを加えながら
安易に「殺し」に流れずに「妖怪からくり」に知恵を絞り、事を収めていく中で
悪態をつきながらも解決を図っていく過程が本当に魅力的だ。

これまでの巷説シリーズは、裏の世界で動く又市らに関わる表世界の人物として

考え物の先生 山岡百介が存在し、読者である我々は百介とともに

「妖怪の仕業」としか思えない事件の顛末を驚きながら観る筋立てだった。
感情を表に出さず鮮やかな手並みで、最後の種明かしまでその動きがわからない。
そして最後に妖怪を利用した又市の仕掛けの全貌がわかると
状況も人の感情もうまく収まるその手並みに、百介共々感心するという仕立てだった。

百介は読み手である我々と同じ目線で右往左往する存在でもあり、
妖怪などの変異の話を収集している物知りの彼は
仕掛ける相手や周囲の人々に「妖怪の存在」をあらかじめ認識させる役割も負った
謂わば狂言回しの役回りで、作者である京極さんの「作劇上での仕掛け」の要でもあったはずだ。
(故に最終作「後巷説百物語」は彼が主役であるのだ)

そして百介は作者である京極さんが動かす「物語の駒」であると同時に
裏の世界に身を置く「プロ」でもある又市にとってもまたとない手駒でもあった。
又市はお人よしの彼の知らぬところで一枚噛んでもらう仕掛けをいつも用意していた。
表世界に身を置きながらも彼らの存在を厭わない百介の存在は、うってつけの駒だったはずだ。

ただ、そこには人別を持つ表の住民=百介に迷惑がかからぬよう
無宿人=又市はしっかりと配慮し、ある意味一線を越えぬよう気遣っていた。
「駒」というより親しみを込めた「仲間」として接してくれていても
「線を越えない」扱いは百介にとっては寂しいことではあったのだが
それが又市の優しさでもあることは間違いなく、百介もそれは正しく理解していたのだ。

江戸の昔の身分の違いというものは我々が想像する以上に絶対的なものだったのだろう。
この身分・立場を超えた信頼関係が、「続」のラスト、そして「後」の中で
切なく胸に迫ってきたものだった。

さて今回の「前巷説」では時代を10年も遡る故に
この百介と又市はまだ出会っていない(正確にはチラリと出てくるが)。

これまでのシリーズでは百介が担っていた部分・・・すなわち非道な話に心を痛めたり、
怒りを感じたり、困難な状況や、敵が強大だった場合「この事態をどうするんだ」と
焦ったり心配する「素人故の素直な感情」を持つ役割を
読み手と同じく「感情が揺れ動く」部分を、本作では若き又市自身が負っている。
「素直な感情」や「焦りや不安」を又市や仲間たちは隠そうともせず吐露するのだ。
これがこれまでのシリーズと違う本作の最大の魅力になっていることは間違いない。

人死にが出ることを嫌い、故に「青臭い」と仲間たちに言われながらも
銭で埋まらぬ損を、こちらの危険を避けながらも必死に仕掛ける又市。
直ぐに熱くなる又市が、いい。
難しい局面に必死で足掻く彼の姿がまたいいのだ。
加えて言えばやけくそ気味に悪態をつく又市と仲蔵の江戸弁&林蔵の大阪弁の
スピード感ある会話が心地良いのだ。

時代が後になる前作までの又市とその一味は、完全に裏の世界で暮らしている。
百介と読み手である我々には表層以外の彼らのことは何もわからない。
わかるのは彼らがそれぞれ一匹狼でありクールな「プロ」であることだけだ。

すでにプロとして完成された又市たちはどんなに非道な話に憤りを感じても、また困難な状況でも
少なくとも百介=読み手である我々の前では涼しい顔でいる。
又市の計画にそれぞれの得意分野でことにあたっていく「異能プロ集団」だった。

しかし今回の「前巷説」では又市とその仲間はまだ素人だ。しかも熱い。
それぞれ能力はある。しかしその能力だけで裏の渡世で食っているわけではない。
元締めであるゑんま屋お甲でさえも裏の世界では素人であるのだ。
定法の裏にも足を踏み入れながらも、躊躇なく殺しもする「裏の玄人仕事」には慄く素人集団だ。

そして決して仕返し屋でも、ましてや「玄人仕事=殺し屋」でもないこの面子は
一般的な見地で見れば身分制度の末端に引っかかっている「マイノリティ」でもある。

お甲とゑんま屋の手代角介を除けば、又市も仲蔵も林蔵も山崎も

士農工商の埒外にある非人や無宿人と紙一重の存在なのだ。

だから、弱い。この弱さが今回の緊張感につながっている。

ラストの3作・・・ゑんま屋一味に危機が訪れる「山地乳」、敵の名前がわかる「かみなり」
そしてこの仲間での最終回となる「旧鼠」。

ここではそのマイノリティである彼らの立場がクローズアップされる。

この3作での又市の「仕事」はほとんど成功していない。

後に続く強大な「裏の世界の大物」との出会いを経てやっとケリがつく話がある。
「続」でやっと決着をみる強大な敵とのファーストコンタクトがある。
そして仲間たちとの辛い別れを経て、又市が今に至る闇の世界に身を投ずるまでの

この物語の数々はのけぞるくらいに面白く、そして切なく、やるせなかった。

素人+マイノリティ=弱者。これが「前巷説」の要だ。
ひと癖ある面々である一味だが、彼らは裏の世界の素人で、身分的には弱者の集団だ。

だから彼らの直面する「恐怖」がこちらにもストレートに伝わってくる。

周囲の者を殺され、姿の見えぬ敵に怯え、逃げ回る緊張感。
しかも「強大な敵」稲荷坂の祇衛門は同じ弱者の非人や無宿人などを手駒に使う。
「弱いものが弱いものを叩く」仕組みを使ってくるのだ。

ここに素人+マイノリティである又市の遣りきれない怒りが、焦りが
これまでのシリーズと違ってまっすぐこちらに届いてくる。

又市の「素人の想い」が様々な人を動かし
何とか困難な状況を収めることにはなるが、強大な敵を倒すまでには至らない。
多大な犠牲の上の辛い勝利。やるせない終焉。
そしてこれが「御行の又市」の苦いスタートになるのだ。

ああ、これは俺の好きだった初期必殺の最終回だ・・・とすぐに思った。


京極夏彦が「必殺シリーズ」の熱心なファンであることは前にも書いた。
故にこの巷説シリーズが彼なりの「必殺」シリーズだな・・・というのは
キャラ構成と話の運びなど読んですぐに理解できていたが、
今回の「前巷説」はそれをより濃く感じた理由はここにあるかもしれない。


必殺との共通点を書き出すとながくなるのでまたの機会にするが
初期必殺のトーン、登場人物を彷彿とさせてくれる一話一話に思わず何度も唸った。
特にこの最終話のやるせなさ、哀しさは巷説シリーズの中でも白眉だ。
「続」での決着を読みなおしても尚、この「旧鼠」のハードさは素晴らしい。

双六売りの又市が御行姿になって、決意も新たに裏稼業に自ら足を踏み入れていく。
素人で弱者だった又市は、弱者のために素人からプロになっていくのだ。
弱者の哀しみを嫌というほど理解して。

自分の口先だけを「得物」に。

力強くその一歩を踏み出す。

まだ熱さを残した、この先の又市の話をまだまだ読みたいと思う。
どうやら「西巷説」が連載始まっているらしい。大いに楽しみだ・・・。