歴史に埋もれた不都合な真実、塗り替えるのは愚行「アビィー」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

近代化とかの「偉業」のものでも、「他国の力」であったは認めがたくな人々は、そんなものは

忘れ去り、自力で何でも成し遂げたと「歴史修正」に躍起になり、自分達の生活向上に寄与した

者も「消し去った恩知らず」なのを「差別の中に放り込む」蛮行だから、知れば知るほど「けったいな

人々」がはっきりしてしまう。

 

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■朝鮮農地近代化に功績
広島ゆかりの歌手、吉田拓郎さんの父、吉田正廣氏(1895~1972年)の功績をまとめた

研究書「評伝 朝鮮総督府官吏・吉田正廣とその時代」(清文堂)を、広島修道大の坂根嘉

弘教授(65)(近代日本経済史)が出版した。植民地下の朝鮮半島で、農地制度の近代化

を支えた正廣氏の功績を掘り起こした書籍は初めてという。(木村ひとみ)
■坂根・修道大教授 「小作人のため奮闘」
坂根教授は鹿児島大に在籍していた30年ほど前に、鹿児島県史を編さんした元県職員とし

て「吉田正廣」氏を知った。その後に読んだ朝鮮農村関係の史料でも「吉田正廣」氏を発見。

気にはなったものの、調べる手がかりがなかった。
ところが、2017年頃にたまたま手にした雑誌で読んだ拓郎さんのインタビュー記事で、2人

の「吉田正廣」氏が同一人物で、拓郎さんの父だと判明。興味がわいて正廣氏について本格

的に研究することにしたが、史料はほとんど残されていなかった。
壁にぶつかっていた時、広島修道大の同僚が吉田家の親族だとわかった。県内に住む正廣

氏の娘で、拓郎さんの姉の松尾宏子さん(81)を紹介してもらい、正廣氏の著書や手紙、写

真などの提供を受けたことで、一気に研究が進んだという。
書き上げた研究書によると、正廣氏は鹿児島県生まれで、同県立鹿屋農学校を卒業後に、

朝鮮総督府に就職。1930年頃から朝鮮半島で小作制度の調査を実施し、小作地約2000

か所からの報告書を1人で処理するなど能吏だった。
調査結果をまとめた「朝鮮ノ小作慣行」(朝鮮総督府発行)は、34年に公布された朝鮮農地令

の基になった。坂根教授は、農地令によって横暴な小作地の管理人の排除が可能になり、農

地の相続が認められるなど、小作人に有利な改革が実行されたとしている。
坂根教授は「朝鮮農地令は植民地支配のためという評価もあるが、正廣氏が小作人の利益の

ために奮闘したことは事実だ」と話す。
父の業績を明らかにした研究書に、宏子さんは「父の仕事のことは何一つ知らなかったので驚

いた」と感謝している。
また、近現代朝鮮農業史に詳しい松本武祝・東大大学院教授は「膨大な文献の収集に基づく重

厚な実証研究だ。朝鮮小作政策を考える上で、重要な問題提起になっている」と評価した。
研究書は四六判、334ページで、税込み2970円。

読売新聞 2021/04/07 05:00
https://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20210407-OYTNT50010/

 

 

日本といえばまず何を思い浮かべますか?日帝強制支配、植民地、総督府、強制収奪...大部分

が否定的です。特に現政権に入って土着倭寇、慰安婦など反日感情をさらにあおって、ぶっ倒

す国に固定化され、反日感情をより一層悪化させています。
私は反対にこの隣国を許容する論理に変えようとあえて主張します。なぜか?同じ先祖を持つ

他の枝であるからです。
この国は歴史の中の三国、すなわち高句麗、百済、新羅の遊民が育てた国です。

日本の歴史は彼らが主張する様に紀元前600年頃に建った国ではなく、高句麗遊民が一次征服

した国です。淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)と彼に従う支配階級が麗唐連合軍に敗れて逃げて建てた国、

一次君主が彼らのルーツと信じる天武天皇です。
なぜ天皇制に今も固執するのかといえば、高句麗の前身である桓雄(ファンウン)天皇制を淵蓋蘇

文がそのまま実践したからです。サムライという言葉はサウラビ、すなわち高句麗の鎧馬武士を称

する言葉ですね。
引き続き百済遊民、王子と将軍が行って彼らが言う将軍になりました。特に百済武王の息子である

琳聖(イムソン)太子は最も強力な将軍になって現在でも彼の子孫を自任する人々が先祖を祀りに

来ています。新羅が滅びてその子孫も日本に避難し彼らの字、ひらがなとカタカナを伝播しました。

薛聡(ソルチョン)の吏読(イドゥ)文字がそのルーツでしょう。
すなわち今日、日本国民を構成している民族のルーツの大部分が韓半島から渡っていった北方遊

牧民族系です。私たちとルーツが同じです。この民族は異なる土地に住んで文化を異にしましたが、

いつも自分たちが渡ってきた土地に対する愛着があって壬辰倭乱や韓日合邦という侵略をするこ

とになります。
つまり追い出された作男が良い暮らしができるようになって、主人の家に復讐した格好です。
そして過去の上古時代に対する劣等感の発露が歴史歪曲でしょう。
高麗時代まで2国は大きく争ったことはありません。相互間の往来が多く食べ物も分けましたが、朝

鮮が性理学で文官中心国になった反面、日本は戦国時代で武人中心国に変わったことから両国間

葛藤の流れが始まりました。韓日間は敵同士の関係になり、五千年の歴史のうち700年をそんなふ

うに戦いました..
日帝強制占領期間、彼らが犯したことは古代史に対する劣等感の発露として近現代史を自分たち

式に操作しただけです。しかし、内心を見れば密かに本家である韓国を陰に陽に助けています。

私たちが産業化を叫んだ時、朴正煕(パク・チョンヒ)を助けた日本の功労は大きいです。
米国は冷戦時代、ソ連牽制用に韓国を助けましたが、実際の技術や資金は日本がはるかに多く助

けました。パク・チョンヒは満州士官学校と日本士官学校を出て彼の人脈が水底で支援したことは

いつか明らかにされるでしょう。
いつまで憎むだけが国ではありません。ベトナムの様に自国民をめちゃくちゃにした韓国を友人と

する寛大な心を習わなければなりません。
同じルーツから出た異なる生活を送る隣国、古代北方遊牧民族史を勉強すればするほど彼らは

私たちです。彼らの宗教である神道自体、古朝鮮と高句麗の先導を受けたもので、靖国神社に死

んだ人を神として封印する時、刃物と鏡で封印すること自体が天符印三宝物を持って地上に桓雄を

呼び出した私たちの古代史をまだ持っていたこと自体が驚くべきことです。
日本という国号自体が卒本(チョルボン)から出たもので、チョルボンが金星を意味する百済語であ

ることが分かればあの国は我が国です、兄弟です。大きな心で耐えることが未来の私たちの役割でしょう。
キム・ジョンオプ気博士・韓国精神科学学会常任理事

 

中部毎日(韓国語)韓国と日本
http://www.jbnews.com/news/articleView.html?idxno=1334356

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「歴史検証」の中に「自己都合」を持ち込めば、こういったはずが、いつの間にか「起源は我にあり」の

「頭に羊羹が詰まっていそうな提灯記事」をかざして悦に入るって、なんとも気の毒な人々と、こつこつと

「人の役に立つ」のを無名のままっていう行いの尊さの差は、埋りそうにない。

以下の様な「動機が不純」な運動も、どこぞが「後ろから手を引く」あざとさと、いかがわしい「憤懣の鬱憤

晴らし」に使われると、後の検証で「ああ、やっぱり」となって、踊らされた人々の哀れと・・・。

 

 

その昔、以下の様なバンドがいて、そのバンド名に「イコール」をと、昔からある程度は音楽的には

理解が得られていたというのに・・・。

 

 

 

 

その人達も年をとれば、当時の面影も無く、「どこぞのおっさん」と相成ってくすりと笑えるのはご愛敬。

あの当時“ブラック・イズ・ビューティフル”という言葉が流行り、以下の様なブラック・プロイテーション映画

が作られた。 なんとも「歴史修正」に躍起となる人々は、「利用できるものは、何でも利用」を今でも

自分らの権益拡大に利用しているのは、なんとも・・・。

 

 

 

「アビィー」 七十四年未公開作

黒人版の「エクソシスト」。その「エクソシスト」の制作会社ワーナー・ブラザースから著作権の問題

で訴えられた。

というように、白人でない黒人が主役という単なる時の「社会状況」から来る運動の一環としての

ものだが、そこはそれ「今まであった物語の主役」だけを変えての焼き回しで、上の様な「バクリ」

として訴えられるというしょうもなさで、これ以前も「ブラキュラ」なるみっともない一本もあった。

何より「バクリ」でも何でも出来が良けりゃ、それなりの評価も得られるが、如何せんの出来だから

「劣化コピー」のどこぞと同じだけに、「見て笑われるホラー映画」と相成っている。

当時もこんな「黒人優位」の動きもあってなのだが、やることがこれでは世界で賛同得られるはずも

なく、いつしかこんな「愚案」なものも姿を消していったのは、あたりまえではある。

 

 

 

 

 

「サイコハウス」 〇七年公開作

こちらは上の作品の主人公と同じ名の女性が主役の「どこかに落ちていたベビー・シッター・ホラー」

の焼き回しという体裁のもの。

なによりな殺人の動機が「幼少期ウンタラ」で、ちょいとひねのがのが「なりすまし」物語って、先が

読めては形無しである。

それにしても邦題の付け方も、なんともダサさが鼻につく。

 

とまぁ、メディアを通じて報道される「ブラック、ウンタラ」を知らされるとその昔のやり方と同じでは

ゲンナリである。

 

                                 といったところで、またのお越しを・・・。