恥ずかしいメディアの繕い、国民に馬鹿にされる「ドクター・ゴア/死霊の生体実験」並みの戯言 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

このところのメディア劣化加減は、目を覆いたくなる限りの惨状だが、護送船団として

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を体現して、なんとまぁ、過去の大震災の時の

根拠なき「被害者」に忖度して、まるで文章を書く自分が「見てきたように、あるいは

当時と今日を混濁したまま、正義ずらした文章をしたためるのだから、唖然とさせられる。

 

 

その昔の「日教組」という先生の集団も「デマ」を偏って信じ込み、いささかの検証も

なされずに「言い放つ」愚挙をして、今日のメディアの体たらくの基礎を作るのに

勤しむものだから、見事なまでに「暗愚な記者」増加に寄与している。

それらの文章が大震災の被害者に対等の慰霊の念を用いずで、特定の人々の加護

に懸命なだけだから、国民からとれば「指をさされて笑われる存在」に移行してしまった。

ただ自分では、もしかしたら「いいことを言っている」と満足しているかも知れないとなると

なんとも公正・公平なんて完全に絵空事の昨今のメディアの姿勢となる。

 

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(天声人語)関東大震災の教訓
2017年8月26日05時00分
関東大震災の混乱のさなか、ある銀行員が見聞きしたことである。広場で群衆が棒切れを

振りかざしている。近づいてみると大勢の人たちが1人の男を殴っている。殺せ、と言いながら

▼「朝鮮人だ」「巡査に渡さずに殴り殺してしまえ」との声が、聞こえてくる。「此奴(こやつ)が

爆弾を投げたり、毒薬を井戸に投じたりするのだなと思ふと、私もつい怒気が溢(あふ)れて

来た」(染川藍泉〈らんせん〉著『震災日誌』)。朝鮮人が暴動を起こしたとの流言飛語が、飛び

交っていた

▼人びとは武器を手に自警団を作って検問をした。「一五円五〇銭」と発音しにくい言葉を言

わせ、日本人かどうか調べた例もあった。あまりに多くの朝鮮人が虐殺された

▼差別的な振る舞いや意識があったがゆえに、仕返しを恐れたか。官憲もデマを打ち消すど

ころか真に受け、火に油を注いだ。「当局として誠に面目なき次第」と警視庁幹部だった正力

松太郎が後に述べている。不安心理が異常な行動をもたらす。忘れてはいけない教訓である

▼そう考えると、首をかしげざるをえない。朝鮮人犠牲者を悼む式典に、小池百合子東京都知

事が追悼文を送らない方針だという。例年とは異なる判断である。都慰霊協会の追悼行事があ

るので、「個々の行事への対応はやめる」のが理由というが、見たくない過去に目をつぶること

につながらないか

今からでも遅くない。方針を改め、追悼文をしたためてほしい。大震災から94年となる9月1日。

風化を許してはいけない歴史がある。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S13103189.html

 

 

 

「みんな、こいつを生かしておくとなにをしでかすかわかンねエぞ、なんしろ、宇宙人だ」「そうだ、

やられる前にやってしまった方がいい」「やっちまえ」-。ト書きはこう続く。

(集団の暴徒になっている)
一九七一年放映の「帰ってきたウルトラマン」の「キミがめざす遠い星」。テレビ放映時のタイトル

である「怪獣使いと少年」の方がなじみが深いか。ただ自分の星へ帰ることだけを願う宇宙人と、

それを手助けする少年にデマに扇動された一般市民が襲いかかる
脚本は上原正三さん。一つの事件を題材にしている。一九二三(大正十二)年の関東大震災の

朝鮮人虐殺である。「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマにあおられた人々によって朝鮮人らが

殺された。
差別、人間の集団心理の恐ろしさを沖縄出身者として、この作品で描きたかった

▼その朝鮮人犠牲者の追悼式。小池百合子東京都知事は歴代知事が応じてきた追悼文の送付

を今年は断った。突然の方針転換である
都慰霊協会主催の大法要ですべての犠牲者に哀悼の意を表しているためとは説明になっていない。

「虐殺の事実を否定するもの」と批判されても仕方があるまい
その追悼文は日本人にとっての「お守り」だったかもしれぬ。それが失われ、かつての過ちを忘れた

とき、「やっちまえ」のあの怪物がこの世に再び現れまいか。それを恐れる。

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017082702000141.html

 

 

 

先週の8月19日、東京地方を大雨・雷が襲い、花火大会が中止になるなど大きな混乱が起こり

ました。SNSでは、大雨のすごさを表す写真や動画が多く投稿されました。
同じタイミングで、Twitterにて「浜松市内に落ちた雷の撮影に成功しました」というコメント共に、

大量の雷が落ちている画像が投稿されました。インパクトのある写真だったため、瞬く間にTw

itter上で拡散され、最終的には3万回以上RT(リツイート=転送)されました。
さらにこの画像を保存し、同じように投稿する「パクリツイート」をする人まで登場。

パクリの方は5万8千件RTされ、さらに多くの人が投稿を見たと思われます。

インパクトのある写真だったため、かなりのスピードで広がった「浜松大量落雷ツイート」でしたが、

実際はアメリカ人の写真家がインドで撮影した写真でした。
BuzzFeed Japanが検証し、「デマ」とタイトルに入れて注意をうながす記事を掲載しています。
BuzzFeed Japan-「浜松市内に落ちた雷」の写真はデマ SNSで拡散
今回は、結果的にデマがものすごいスピードで広がったことになります。
ネタとデマの境界線
多くの人によって拡散された「浜松大量落雷ツイート」ですが、投稿者は「どっからどう見ても

浜松ではない」「これくらい見抜けないと」とのコメントも残しています。つまり本気でこの画像

が浜松だと信じていたわけでもなく、人をだまそうとしたわけでもなく、ふざけて投稿したのだ

と思われます。
イケメン俳優の写真を「どうも僕です」と投稿し、「お前そんなにカッコよくないだろ!(笑)」と人か

らツッコんでもらうのを待つように、今回も「浜松こんなに高層ビルないし(笑)」「こんなに雷落ち

ていねーよ!」と近い友達からの反応を待っていたのかもしれません。
Twitterにおいて、冗談や創作した話を投稿することを「ネタツイート」と呼びます。今回も投稿者

はネタツイートのつもりだったと思いますが、首都圏で雷雨が猛威を振るっていたこと、想像以

上に広がったことなどもあり、「ネタ」ではなく真面目に信じる人が出てきて「デマ」に変わってい

きました。
ネタとデマの境界線は非常に曖昧です。近い人なら冗談を冗談としてわかるものの、関係が少し

離れると事実として受け止められてしまいます。2016年4月の熊本地震の際には、「動物園から

ライオンが逃げた」と、街中を歩くライオンの写真を投稿した人がいました。
本人は「ネタ」のつもりだったかもしれませんが、信じた人が動物園へ問い合わせの電話を行い、

その数は100件を超えたとのことです。大量の電話が動物園の業務に支障をきたしたということ

で、偽計業務妨害容疑で投稿者の男性は逮捕されました(のちに不起訴判決)。
インターネットでの拡散は、投稿者が適切にコントロールすることが難しく、予想外に広がる可能

性があります。ネタとして笑いを誘うつもりの投稿が、予想外に広がりすぎて、逮捕される。

インターネットで情報を発信する場合は、その影響力などを強く意識しないと「デマ屋」になるので

注意が必要です。
デマは人の命を奪う
ネタとデマについて話をすると「面白くて迷惑がかからなければいいじゃん」という意見も出てき

ます。もちろん面白く、楽しいことはいいことなのですが、デマはトラブルのきっかけにもなります。

前述した熊本地震の「ライオン脱走デマ」では、動物園に問い合わせの電話が大量にかかり、

業務に支障がでました。
また、街中をライオンが歩いていると信じて家から出ないことで、被災の被害が広がった方もい

るかもしれせん。今回の「浜松大量落雷ツイート」を信じ、浜松へ行く予定を変更した方もいるか

もしませんし、今後本当に雷による災害が発生した時に、信じない人が出るかもしれません。
今から約100年前、1923年の関東大震災の時には、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などのデ

マ・流言が広がったことで、暴動が発生。朝鮮人や朝鮮人に間違われた日本人など、多くの人が

殺害されるいたましい事件が起きています。
こうした過去の悲しい事件から、私たちは「デマは人の命を奪う」ということを強く意識し、インター

ネット上の無数の情報を精査する必要があります。  島袋コウ

https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-563340.html 

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火事場泥棒とかは、被害にあった人だけでなく困窮してしまう多くの人の生活基盤を鑑みて

卑劣すぎる行いと映るもの。

そして大震災時など、協力してこその隣人・隣組と相成り、抜け駆けせず平等の精神が

行き届いた日本だからこその「悲惨な行状」よりは、海外の人々の反応に驚きをもって迎え

られたのは、普段の行いが緊急時でも発揮されたものだからだろう。

それをメディアも、当然としてそれほどの美談も伝えないのだが、そこに朝鮮という名が出た

途端に、極悪非道の日本人は、差別したウンたらと、まくしたてるのだから、その地で懸命に

生きる日本国民も、単に朝鮮などゆかりも何もなくとも、蛮行をおこなったことになってしまう

のたがら、空恐ろしい。

当時、不逞鮮人と名付けたのがメディアであったを知ると、さてさて侵食される精神は、

メディアの中で崩壊していくのかとなる。

 

こんな惨状を映像化してみれば、きっとおどろおどろしい題名とかけ離れた内容と

シナリオのだめさ加減が秀逸な「ドクター・ゴア/死霊の生体実験」なんてものと

同一かもしれない。

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=MMQaCYxB55U

「ドクター・ゴア/死霊の生体実験」 七十三年未公開作

 

この未公開作、不出来のものを何とか売ろうとする努力の証のように、スプラッターの

権化の挨拶を冒頭にして、その権化の知名度にあやかっての売り上げはあったようだが、

いかんせんシナリオもないような物語展開だから、含み笑いやあざけりがどんどん出て、

最後にはいつものことで「終わったよ、長かったな」の感想しか出ない作品。

一応最初こそ、最愛の妻を亡くしたマッド・ドクターの「妻の再現」を夢見た「フランケンシュ

タイン」ものの亜流かなと思ったのだが、妻のキャラクターとかを再現するでなく、女性を襲って

必要な部位を取り出して、あとは強酸で溶かし込む。

で、襲うにしてもドクターがいつの間にか超能力者になってみたりと、がぜんご都合主義に

陥ってしまって、恐怖のさまも「女性を切り刻む」のチープなものだけで、後は妻とは完璧に

離れた理想的な女性を作り上げ、そしてその女性の知能も幼児状態にして、ドクターが教え

込むという「変態気質」を全開させていくという、ホラーのそれからポルノへと移行したいみたい

な展開になっていく。

何しろドクターが教え込むのは、自分の好きな女性の嗜好なのだから、そりゃ妻なんてただの

言い訳の動機作りとなって、完成した人造人間を溺愛すると、最初から見ているこちらは、「お

い、お前の理想の妻は、どこに行った?」から、天才とは何でもできてしまうとかの展開に、

あきれ果ててしまい、これからの展開も期待出来ずに、漫然と眺めるだけとなる。

相棒の背むし男は、いいキャラなのに無慈悲に殺されるし、何より一から教え込込まれる女性は、

男を求めて外に出れば、誘われた男にホイホイついて行って、残されたドクターてなところで

エンドなんて、「おい、おい」と見る拷問から解放されて、ホッとする・・・。


誇大広告と権化の名前で見てみたが、それなりの作品なのは最初から分かっていたの

無駄な時間の浪費と「反省してしまう」見事な作品ではあった。

それと同程度のメディアの文章のさまは、それでも映像の中にきらりと光る肢体の女性が

出てきただけ、この映画の方が価値はある。

なんて・・・、慰霊のさまも「被害最大限活用」な所作には、やっぱり利用出来るものは、なん

でもの乞食根性は共通のようで・・・。

 

 

 

                  昨年の九月以来のエントリーとなったが、自分のブログに

                  入れないって、なんだかなぁと釈然としない。                           

                          といったところで、またのお越しを・・・。