偏向主義の日本のメディアと「消されたヘッドライン」 | 流浪の民の囁き

流浪の民の囁き

映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き

なにを伝えるか、なにを伝えないかの選択をして国民からの批判の上がる日本の
メディアの手法は、ようはどこかを利するための存在と認識される偏向を挙行。



この画像のような「政策案件」の賛同に見る反対する勢力の様相が特定アジア
だけというのは、日本のメディアの主張と合致してジャーナリズムの汚染度が
よく分かる。

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安全保障関連法案の合憲性をめぐり、朝日新聞は7月11日付朝刊1面で「憲法学者
122人回答 『違憲』104人『合憲』2人」と見出しをつけ、独自に実施した憲法
学者へのアンケートの結果を報じた。回答者の大半が安保法案について違憲か違
憲の可能性があると答えたことを中心に伝えていたが、「自衛隊の存在は憲法違
反か」という問いに回答者の6割超の77人が違憲もしくは違憲の可能性があると
回答したことを紙面版記事に載せていなかったことが、わかった。日本報道検証
機構は先週、朝日新聞社に対し、紙面版記事で一部の結果を伝えなかった理由に
ついて質問したが、22日までに回答は得られていない。
第1社会面でも大半のスペースを割いて詳報していたが、再び「安保法案は憲法
違反にあたるか」「砂川判決が集団的自衛権行使を認めているか」の結果だけグ
ラフで表したほかは、記述回答の一部を紹介していた。アンケートでは「現在の
自衛隊の存在は憲法違反にあたるか」「憲法9条の改正についてどのように考え
るか」についても質問していたが、朝日デジタル版の記事に短く載せただけで、
紙面版の1面・社会面には載せていなかった。

紙面版記事から削られていた部分

自衛隊については「憲法違反」が50人、「憲法違反の可能性がある」が27人
の一方で、「憲法違反にはあたらない」は28人、「憲法違反にあたらない可能
性がある」は13人だった。憲法9条改正が「必要ない」は99人、「必要があ
る」は6人だった。
自衛隊について違憲または違憲の可能性があると答えた77人は、安保法案につい
ても違憲または違憲の可能性があると答えたとみられる。そうすると、安保法案
の違憲または違憲の可能性があると答えた119人の過半数が、自衛隊の存在につ
いても違憲またはその可能性があると答えていたことになる。
他方で、自衛隊を違憲ではないと答えた学者は28人いたが、安保法案を違憲でな
いと答えたのは2人だけだった。自衛隊「合憲」論者の圧倒的多数もまた、
安保法案も違憲またはその可能性があるとの見解を示していたことがわかる。
また、50人が自衛隊について明確に「違憲」を答えたが、9条改正は「必要があ
る」と答えたのは6人だけだった。この6人が自衛隊に合憲性についてどのような
見解を示したのかは不明だが、自衛隊を「違憲」と指摘した学者の大半が、改憲
は不要との見解を示したことがわかる。
朝日新聞は7月17日、デジタル版で、実名公開を承諾した憲法学者の記述回答全
文を公表(22日には選択式回答も公開)。中には「これまで憲法学者の意見など
気にもかけてこなかったにもかかわらず、にわかにアンケート調査を行うように
なったマス・メディアにもたいへん驚いております」(塚本俊之・香川大教授)
といった指摘や、次のようにアンケートのあり方に疑問を示したものもあった。



井上武史・九州大学准教授の回答欄の「附記」

おそらく、貴社の立場からすれば、このアンケートは、憲法学者の中で安保法
制の違憲論が圧倒的多数であることを実証する資料としての意味をもつのだと
思います。
しかし、言うまでもなく、学説の価値は多数決や学者の権威で決まるものでは
ありません。私の思うところ、現在の議論は、圧倒的な差異をもった数字のみ
が独り歩きしており、合憲論と違憲論のそれぞれの見解の妥当性を検証しよう
とするものではありません。新聞が社会の公器であるとすれば、国民に対して
判断材料を過不足なく提示することが求められるのではないでしょうか。
また、そうでなければ、このようなアンケートを実施する意味はないものと考
えます。(朝日デジタル7月17日 掲載より)

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20150722-00047752/
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汚染塗れのメディアの中でも、ピカイチのところは、国民の監視もあり、捏造
をすれば即座にネットで暴かれて、言論の公平性のなさを表して、下の様な
捏造まがいの多国籍アンケートを国民の意識調査として発表するのだから、
信頼度も落ちていくだけはじめいだろう。



そして投稿記事のそれも、若者の投稿とされるものも「自作自演」とくいとなれば、
またまた自分で書いて、他人の名を語っての悪辣な作用も疑われてしまう。



どこそこでこういってますよの伝聞でも、それが真実であるかの様に伝える姿勢
は、国益の毀損となって返って来ることにもなる。
だけに「公共の公器」を正すのも、国民の使命となり得るのは、いかがしたもの
か・・・。そこかに知る情報が信憑性に疑いってのが、日本の不幸ではありそう。

で、他サイトに似通ったものがあったので、それを引用。

引用開始
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戦争法案なる珍妙な造語が跋扈して、押しなべて若者が法案反対を
唱えているかの偏向でもって政権与党攻撃の端緒にしたいのか、反対
賛成の国民意識、それも若者の意識として「賛成」が大多数を占めれば、
とたんに手練手管に邁進するが・・・。



マスコミのグローバル化うんたらの国際的立場からすれば、この法案の受け
入れには、たった二カ国しか「反対」を表明していない事実は「不都合な真実」
として、報道規制の対象になるらしい規範は、世界とは「特定アジア」の範疇
でしかないと表明しているようだ。
それだけに国会前の騒動も、綺麗に称えていて「色彩感覚・旋律感覚」が日本
的でないのには、違和感がないのだから、シンパシィー合致する遺伝子の
なせる業なのだろう。

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国会前デモ 街頭のデモクラシーよ
2015年7月18日



安保法制に反対する若者たちが国会前に集まっている。憲法に違反し、「戦争
できる国」へと暴走する政治に黙ってはいられない。同じ思いで集うデモは民主
主義の表現手段である。耳を傾けよう。
「憲法守れ! 勝手に決めるな! 国民なめんな!」
マイクを握った若者に合わせ、激しいコールが響き渡る。プラカードを掲げ、声を
からし、深夜まで沿道に人波があふれる。
国会前のデモは、学生グループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急
行動、シールズ)」などがツイッターやフェイスブックなどで呼びかけ、法案審議が
始まった五月から行動してきた。
二十代が多いが、年上の世代とも連携する。参加者は毎回増え、衆院の特別委
員会で強行可決された十五日の夜には、主催者発表で十万人にまで膨れ上がった。
同じような思いを共有した人が国会前だけでなく、全国各地で行動を起こしている。
四年前の福島原発事故の後、デモに参加することは市民にとって当たり前の行動
となってきた。
今、各地で行動を起こしている若者はまさに、おかしいことにはおかしいと言う、異
議申し立ての手段だという感覚を持ちあわせている人が少なくない。それが行動に
つながる。
原発再稼働も、特定秘密保護法も、反対する世論をまるで無視するように強行され
ている。貧困と格差が広がる中で、若者の暮らしは追い詰められている。
ブラック企業やブラックバイトに象徴されるように、違法、脱法、長時間、低賃金の
労働がはびこる。安保法案ができて、日本が他国の戦争に加担する国になったと
き、だれが自衛隊に入るのか。だれが戦地に向かうのか。
奨学金の返還に苦しむ学生の中では「自衛隊で何年か働けば、学費免除になるよ
うな制度ができるのではないか」という不安が、現実味を帯びて語られてもいる。
そういう不安を考えてほしい、というのだ。
たくさんの異論があってこそ、民主主義は成り立つし、よりよい答えを導くはずだ。
法案の審議は参院に移る。
日本の将来を率いる若者の叫びにじっくり耳を傾けてはどうか。
「民意は国会の中でなく、外にある」と若者は力強く言った。
国会前にこれだけ多くの若者が集まるのは、聞く耳を持たない政権への危機感の
表れである

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015071802000177.html



安全保障関連法案の成立を目指す安倍政権に反対の意思を示そうと、県内の高
校生ら約130人(主催者発表)が19日、さいたま市大宮区の市民会館おおみや
からJR大宮駅前までデモ行進した。
主催したのは県内在住、在学の高校、大学生らでつくる「ヴィップ埼玉」。
デモでは先頭の高校生らが「NO WAR 平和願う大宮デモ」と書かれた幕を掲げ、
「憲法守れ」「自由を守れ」「戦争法案、絶対反対」と叫びながら行進した。
和光高校1年の紀田真求さん(15)は「政府は説明もせずに強行採決した。
憤りを感じる。自分は殺すつもりも殺されるつもりもない」と安保法案を拒否。
自由の森学園高校3年の山森要さん(17)は「戦争は何かを解決するのではなく、
憎しみを生むだけ。間違っていると思う。
(衆院で)採決されてしまったが、声を上げ続けることが大事」と力を込めた。

http://www.saitama-np.co.jp/news/2015/07/20/03.html
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どこかで戦争をしているのだろうか。
煽り立てにしても、「備えあれば、憂いなし」の格言は無視する若者の存在は、
七十年前の「守る」ことに命を賭した過去の若者には、唖然とさせられる。
そしてやたら乱立する「横文字」のパクリ意識の強さは、遺伝子がそれを
物語っているようで・・・。



「give peace a chance」 七十年初頭のこの曲も、こういった映像に使われると
その効果は見ている人に通じるものがあるのだが、ここでは大学自治に対する
経営側との軋轢に、要求を出しただけの無抵抗であり、それが意味を成す。
実際この曲当時、欺瞞のそれとして「唱えていても実現しない」と理解されて、
それこそコンサートでもこれを強要すれば、観客が拒否する類いのものだった
なんて、当時を知っていれば「浮世離れ」した戯言で一笑に付してしまうのに・・・。
この法案の拮抗した国民意識、反対が圧倒してしまうマスコミの報道の偏向さに
違和感が、そして信頼失墜の情けなさ・・・。


017 2015/07/21(火) 23:18:29 ID:saPbS8gti6 
現時点ではこうだな。
俺は黙って奪われたり、殺されたりするのは嫌だ。
そもそも、そこまでの状態に陥りたくないから賛成票だね。
賛成
49.4%
251,844票
反対
47.7%
243,133票
どちらでもない
2.9%
14,493票




マスコミの世界で生きていくには「長いものには巻かれろ」の格言が厳然と
存在して、そしてそれがネットで批判されれば、深層心理を表に出してしまい、
レイシストと叫ぶ差別主義者の実態を見せてしまうようだ。

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18日、SHELLYが自身のTwitter上で、いきなり出自を「韓国系」と指摘され、
不快感をあらわにした。
事の発端は、SHELLYが15日につづった投稿にある。
SHELLYはこの日、「この時代にこんな事が有り得るの?とテレビを見ながら
不信感しかないです」「この状況を戦争を経験された世代はどう感じるだろう?」
と安保関連法案をめぐる国会の騒動に対する批判とみられる文言と、
安倍政権に反対するデモへの称賛とみられる文言を投稿していた。
この投稿は19日現在1400件以上RTされるなど大きな反響を呼んでいる。
そんなSHELLYに対して18日、とあるTwitterユーザーが「貴方の父がこの日本の
防衛を担ってもらい感謝してるけど、韓国系の母とのハーフである貴方は米国籍
ですやん」と指摘した上で、「貴方は米軍が保護してるくれるが、
私たち日本人は誰から守って貰えるのかしら?」と疑問を口にしたのだ。

https://twitter.com/shellysproject/status/621324936007696384



SHELLYは、父親がアメリカ人で母が日本人のハーフである。
突然無根拠な「韓国系」認定を受けたSHELLYは「ねーねー、なんでうちの母が韓
国系になっちゃったの??チャプチェが作れるから?」と相手に詰め寄り、
「浅はか過ぎてなんにも言えない…」とコメントし、不快感をあらわにしている。
なお、SHELLYの母は、韓国料理「チャプチェ」を得意料理と明かしている。

https://twitter.com/shellysproject/status/622258721125629952
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批判を受ければ、それへの反論もありだろうが、この認定騒動は「違います」
あるいは「そうですが、それが何か?」のが返答の極意なのでは・・・。



一足飛びに「殺戮あおり」に持っていくのは、実際自国民虐殺している「共産国家」
なのは、紛れもない事実で、歴史に鑑みれば「自国民を守るに、備えなくば・・・」
は受難の時を過ごした「日本人移民に、聞いて見ろ」になる・・・。




国籍も取得したのに、それでも日本系だけで差別の中、忠誠を誓うために
「血の参戦」をした四四二部隊は・・・。



そして何より、反対運動の意識は以下のような、あやふやさだけであるを、
歴史に学べば、「備えなくて、無二に死にいく人を守る」も生かされよう・・・。

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60年安保闘争は、岸信介内閣が日米安全保障条約の改定に取り組んだとき
に始まった。私は当時、毎日デモに参加し、「安保反対! 岸首相は退陣せよ」
と叫んでいた。
安全保障条約は、吉田茂内閣が取り決め、岸内閣がその条約を改正し、その
内容は日本にとって改善されていた。だが、私は吉田安保も改定された岸安保
も条文を読んだことがなく、ただ当時のファッションで安保反対を唱えていただ
けだった。
「岸信介はA級戦犯容疑者であるから、きっと日本をまた戦争に巻き込むため
の安保改定に違いない」と思っていたのである。
当時、東大の安保闘争のリーダーは西部邁氏であった。私は西部さんに「吉田
安保と岸安保はどこが違うのか。それぞれを読んだか」と聞いてみた。西部さん
は「読むわけないだろう。岸がやることはろくなものではない。日本を戦争に導
くだけだ」と言っていた。
60年安保闘争に参加していた者はほとんど安保条約の中身など読んだことも
なく、ただ反対していただけなのである。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20110810/280586/?P=4
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こういった批判も、他国に行っての蛮行に対する批判であり、自国がその災禍
に見舞われれば、一気に変貌してしまうだろう・・・。





003 2015/07/23(木) 12:04:59 ID:lSHz/Fhlo. 
熊がアジアを侵略し続ける中国
箱が米国の軍事力、核の傘を前提とした日米安保
憲法九条は箱の中だけで通用している
このまま長い間放置すれば、いずれ中の人間は食われてしまうだろう

こんな比喩、あながち間違っていない警鐘でもありそう・・・。

http://erath0515.at.webry.info/201507/article_6.html
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引用終

政治色から離れても、海外報道と国内のものに違和感が溢れているものがあって、
それを連記すると「如何わしい胡散臭さ」が満ちているのが、新宿アルタ前での
パフォーマンスのもの。



これは中国の報道で知ったものだが、アルタ前で着ていたものを脱ぎ捨てて、
水着アピールらしいのだが、サングラスをつけたままでその不恰好さが「短足」
と付け加えられた画像を見ていると、上の政治デモと同じく参加しているのは
本当に日本人かの疑いが出て来る。
そしてそれとは対照的なブラジルの堂々としたアピールの様の以下のもの。



価値観の違いで「お尻コンテスト」のデモストレーションものだが、上のなにが
したいかのパフォーマンス集団に、反政府デモの如何わしい雰囲気とは一線を果
して正々堂々の肢体の魅力だけをアピールのは、その魅力だけでなくバックボーン
の様を見せ付けるようで、そこには間違っても「成りすまし」は存在しない・・・。

で、この「成りすまし」の暗躍というのが、日本のメディアの歪みを酷くしてき
たなんてのがあって、日本のジャーナリズムは死んだとなって来る。
そんな日本とは違う、ジャーナリズムの活躍を描いて新聞も捨てたものでない的
扱いの映画が「消されたヘッドライン」という題名の映画である。



>https://www.youtube.com/watch?v=_drNpzI21sg
「消されたヘッドライン」 〇九年公開作

ラッセル・クロウが主演の新聞記者役で、あくまでも自分の信じる正義をたてに
どんどん深く掘り込んでいく展開は、テンポ良く進んで飽きずに見ていられる。
もっとも主演の長髪がジャーナリスト然としているかははなはだ怪しいのだが、
それでも真実追求において妥協を許さず、まして不法行為も厭わず、ただ只管
真実への探求へ突き進むという唯我独尊的行動指針は、やはりやりすぎと思える
反面、失うものの少なさが果敢に挑ませる原動力。そしてなによりな好奇心のあ
りかが、ジャーナリズムの原点を見せ付ける・・・。
映画的には無理クリな展開もあり、ラストへのショボさがなんともな作品に仕上が
ってしまい、バット・エンドでも良いと思える展開もありだった・・・。
まぁ、昔からの「アンタッチャブルな人々」を描く姿勢は、それなりにありなの
だが、この独身で低所得で粗暴だが記者魂は失っていない主人公というのは、あま
りにも陳腐なものと映って、物語もやはり巨悪を許さず的で、社会派映画とは見れ
ない娯楽作品ではあった。

もともとは下のテレビ・ドラマのリメイクだそうだが・・・。



こちらは見ていないので・・・。

今更ながらにジャーナリズムの徹底を追及すれば、記者の姿勢と生活は相容れない
ようで、破天荒な暮らしぶりにこそ、記者魂は宿る。
逆を言えば「生活の安定が、記者魂」を失うという、日本のメディアの凋落振りも、
結果的に好奇心や真実追求の記者魂を「金で売り渡した商業主義」が偏向主義の源
と解釈されそうである。


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              といったところで、またのお越しを・・・。