約束を違えれば、それなりの仕打ちが待っている。「怪談雪女郎」 | 流浪の民の囁き

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映画を通した過去・現在・未来について、なぐり書き


なんにでも口出しするのがメディアの役割と誤解しているのか、はたまた公器としての役

目と自認しているのか、上から目線の文章には「不遜な態度」としか思うぬ思い上がりが

目の前に出てくるのだが、こんな「ろくでなし」にクォリティー・ペーパーが陥ってしまった

のか 注文をつけるのは、それなりの品位とバックボーンがあってこそ相手に響く・・・。


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「未来への土台は、過去と断絶したものではありえない」。安倍首相は、自らのこの言葉

を忘れるべきではない。
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議での安倍首相のきのうの演説は、

肩すかしに終わった。

首相は、60年前に採択された「平和10原則」の一つである「侵略行為の抑制」を引用し、
「この原則を、日本は先の大戦の深い反省とともに、いかなる時でも守り抜く国であろうと

誓った」と述べるにとどめた。

10年前の会議では、小泉首相が戦後50年の村山談話を踏襲し、「わが国はかつて植民

地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と表明。

この表現はそのまま戦後60年談話に生かされた。

きのうの首相演説は、歴史認識の表明に主眼があったわけではない。
ただ、10年前の経緯もあり、安倍氏が日本のかつての過ちにどのように触れるのか、来

週の米議会での演説とともに注目を集めていた。 首相は会議に発つ前夜のテレビで、

村山談話について「引き継いでいくと言っている以上、もう一度書く必要はないだろう」と述

べ、戦後70年の安倍談話には「植民地支配と侵略」「おわび」などは盛り込まないことを

示唆した。きのうの演説はこれに沿った内容だ。

この考えには同意できない。

「侵略の定義は定まっていない」といった言動から、首相は村山談話の歴史観を本心では

否定したいのではと、アジアや欧米で疑念を持たれている。

引き継いでいるからいいだろうとやり過ごせば、疑念は確信に変わるだろう。表立って批判

されなくとも、国際社会における信頼や敬意は損なわれる。

それがいったいだれの利益になるというのか。

一部の政治家が侵略を否定するような発言を繰り返すなか、村山談話は国際的に高く評

価されてきた。
その後のすべての首相が引き継ぎ、日本外交の基礎となった。
率直に過去に向き合う姿勢が、「未来への土台」となったのだ。それをわざわざ崩す愚を犯

す必要はない。

首相はきのうの演説後、中国の習近平主席と5カ月ぶりに会談した。
両国関係を発展させ、アジアや世界の安定と繁栄に貢献をしていくことで一致したという。

歓迎すべき流れだ。

そうであればなおさら、首相はごまかしのない態度で過去に向き合う必要がある。「植民

地支配と侵略」「おわび」を避けては通れない。

http://www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=com_gnavi

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「植民地支配と侵略」「おわび」を避けては通れない。


まるで指示するかの上から目線の語句を書いてアリバイ作りに精を出し、日本の国益・

国民の痛みなどいささかも配慮することなく、特定アジアだけは極端な配慮をしている

メディアの真骨頂の醜悪さわ見せ付けて、これまでだったら捏造体質を知らなかった国

民にこんな「戯言」に共感を生む分けない。





で、実際の演説内容が明らかになれば、一転して「感想」を聞き込めば、自分の思惑と

反してはかばかしいコメントを貰えないで、「御注進」の「んのくに」は案の定、それでは

インパクトがない、アメリカへ意地悪の質問をぶつけて言質をとしても、相手にされずの

「かの国」状態のメディアの憤懣は、自分でよく使う「寛容の精神」は全く見当たらずなの

だから呆れ返る。


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2015年4月23日01時10分

ジャカルタで開かれているアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年首脳会議。
安倍晋三首相が22日に行った演説について、
韓国は、戦後70年で過去の「おわび」に言及がなかった点を批判した。
一方、東南アジア諸国に問題視する空気は薄かった。
韓国外交省の当局者は22日、安倍氏の演説について「深い遺憾の意を表す」とコメント。
安倍氏が村山談話など歴代内閣の談話や歴史認識を継承するとの立場を公言してきた

にもかかわらず、
「植民地支配と侵略」に対する謝罪と反省という「核心的な表現」を落としたと批判した。
一方、会議に出席したマレーシアのチーク通信マルチメディア相は
「(おわびがなかったことに)大きな意味は見いだしていない。日本による占領という暗い時

代、残酷な時代を多くのアジア人は心のなかに覚えている。しかし、今は前進すべき時だ。
貧困のない、正義ある社会をどうつくるか。協力し合う必要がある」と話した。
ミャンマーのワナマウンルウィン外相は
「アジアとアフリカの途上国と協力を深めていく姿勢が示されて、いい演説だった」と評価。
「侵略」や「おわび」については、「特に我々が言うべきことはない」。
カンボジアのホー・ナムホン外相も
「(おわびなどの言及は)安倍首相が判断すること」、
インドネシアの外務次官は
「演説で触れられていない言葉についてコメントはない」と話し、主な関心は
日本によるアジア・アフリカ地域への積極的な経済関与だとした。
(ソウル=貝瀬秋彦、ジャカルタ=古谷祐伸、大野良祐)

http://www.asahi.com/articles/ASH4Q72HQH4QUHBI02Y.html?iref=comtop_6_02




米国務省は22日(現地時間)、インドネシア・ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議

(別名バンドン会議)における安倍晋三首相の演説について「言及しない」と明らかにした。
マリー・ハーフ副報道官は同日の定例ブリーフィングで、安倍首相がバンドン会議60周年

記念のアジア・アフリカ首脳会議演説で第2次世界大戦について
「深く反省する」と述べたが、これについてどのように考えるかとの日本メディアの質問に対

し、このように明らかにした。


韓国が「植民地支配と侵略」「おわび」について言及がなかった点を批判して失望していると

の立場を明らかにしたことについてどう思うか、また共感するかどうかを尋ねたところ、ハー

フ副報道官は「演説そのものに対し、いかなる分析もしない」として言葉を慎んだ。
これに先立ち、安倍首相はインドネシア・ジャカルタで開催されたアジア・アフリカ会議(バン

ドン会議)60周年記念首脳会議演説で「植民地支配と侵略」「おわび」等の文面は除いたま

ま「深い反省」を表明する内容が含まれた演説を行った。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150423-00000032-cnippou-kr

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書いていて、きっと表情は以下のようなものだろうと想像すると、触らぬ神にたたりなしで

やはり「教えない、援けない、関わらない」の非韓三原則に、日本のメディアも仲間入り

しているのかも・・・。




そして基地移転の沖縄では、いにしえの文化が沈んでいると必死になって作り出すのが

何とも小石・・・。

この小ささなら「持っていって埋められるサイズ」てのが、恥ずかしい限り・・・。


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米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、名護市辺野古沿岸部の埋め立て予

定地の海岸で、中世に琉球王国や中国が船舶の木製いかりの重りに用いた「碇石」に

似た石が見つかったことが10日、名護市教育委員会への取材で分かった。
文化財と認定されれば、市教委は発見場所一帯での詳細な調査の許可を米側に求め

る方針。その場合、移設作業の遅れも予想される。
市教委が2~3月に計10日間実施した文化財調査で発見した。石は長さ約60センチ、

幅約20センチ。
中央に溝があり、木製のいかりを沈めるための重りとして中世の琉球王国や中国など

で使われた碇石に似た形状だった。


http://www.47news.jp/CN/201504/CN2015041001001736.html

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こんなものまで報道してしまうのも、反対に傾いた人々の「阻止出来れば、何だってして

しまう」あのサンゴ捏造を髣髴とさせてくれる。





こんな報道に触れれば、画像のような「微笑み」を浮かべて、国民はご苦労さんと寛容の

心で「頑張ってますね」と批判もせず、笑って許す。その日本国民の寛容の精神を利用し

て、これまでさんざしていた悪徳のものが表に出てきて信頼性を失ったのを自覚して、出

直しの「真摯な態度」を取らぬ限り、国民はそれこそ「寛容」の精神も微塵もなく吹き飛ん

でしまうだろう。

そして公器としての「約束」の公正・公平というメディアの責務から逸脱すれば、それこそ

「雪女」の伝説と同じく国民の心は凍りつく。




https://www.youtube.com/watch?v=bppeSCzSQBE

「怪談雪女郎」 六十八年公開作


雪女の伝説が残る飛騨・信州のある山奥で、仏像製作の小屋で師匠と弟子が、たまたま

入ってきた「雪女」を見てしまう。

師匠はすぐに雪女の怨念で凍りついてしまい、弟子は驚きおののき固まっている。

「我を見たことを話さないと約束できるか」の問いに弟子は承諾して命の危険から救われ

て、幾年過ぎ弟子も一丁前の仏像彫り師となって、昔の出来事も忘れていた。

とある日、雨をしのぐのに主人公の軒下を借りる見知らぬ女性を一目見て気に入ってしま

った主人公と母親、その申し出に承諾する女性はかいがいしく嫁の務めをし、そして子を

身ごもり出産と、一家は幸せな日々を送る。

そこに菩薩製作以来の話が舞い込む。ただそれは対峙する彫り師との出来の良い物の

採用となり、主人公は一心不乱に菩薩製作に没頭するが、なぜか菩薩の顔が彫れない。

対抗する彫り師は嫌がらせも工作活動もするが、それらは嫁の配慮でことごとく失敗する

そうこうするうち、主人公は菩薩の顔のヒントが嫁にありとなったが、今度は目がと悩み、

そのことから昔の恐怖の体験を思い出してしまい、そのことを嫁に話してしまう。

嫁の形相がその瞬間に変わって、約束をたがえた罰として、鬼気迫る表情で・・・。

ただその時、息子の泣き声で我に帰った嫁は、雪の降り頻る外にと出て行ってしまう。

それを追う息子と主人公の場面で映画が終わる・・・。

この雪女の哀しみの物語、その雪女を藤村志保が目力で、怖さの表情と普段の優しい

表情との対比を見事に演じて、哀しみの境遇と約束を破った男、そして息子の存在に、

きっちり制裁することなく、寛容の心で自ら去って行くと、菩薩の慈悲を見せるという

許しの教訓。ただ幸せの暮らしからは去らなければならない宿命と、恐怖と慈愛と

寛容とを併せ持つ「雪女」の哀しい境遇を、これまでのお嬢様演技からは脱皮した

ような鬼気迫る演技は、数多の「雪女」の中でもピカイチの出来ではあった。


というような「寛容」も日本には言い伝えとして、伝授されている。

この伝説もいくら約束云々でも「許しの寛容」を併せ持たないと信頼はなく、またいつまで

も過去に拘るのも「許しの許容」が人間の度量であるを、さりげなく映像化したもの。

それ以外の慈悲もなくは、日本では「受け入れられない」を物語っているようだ。


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                               といったところで、またのお越しを・・・。